【遠足シリーズ第18弾】島崎藤村の小説世界の源泉へ
こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です!
7月末から中央区内の随所では盆踊りが開催されていますが、いずれも特徴やこだわりがあり、今年も多くの方々を引きつけていました^^
中には先輩特派員のサムさんがご紹介していた「大銀座盆踊り」に参加するために、泰明小学校を訪れた方もいらっしゃるかもしれません。
泰明小学校と聞くと、あの有名なブランドの制服の他に、北村透谷、島崎藤村、近衛文麿といった有名な卒業生を思い出すのではないでしょうか。
通り沿いには「島崎藤村 北村透谷 幼き日 ここに 学ぶ」と刻まれた記念碑があります。
この頃の文豪に詳しくない私は、「泰明小学校に通うなんて、生まれた頃からいいところに住んでいたに違いない。さすが東京の人!」と思っていましたが、実は2人とも東京出身ではないのです。
近代ロマン主義文学の開拓者である北村透谷は現在の神奈川県小田原市に生まれました。
明治14年に上京し、家族と共に京橋区弥左衛門町(現在の銀座4丁目)に転居し、そこから通学していました。
一方、自然主義文学の代表的作家である島崎藤村は現在の岐阜県中津川市に生まれました。
同じく明治14年に上京し、京橋区槍屋町(やりやちょう)にあった姉の嫁ぎ先(現在の銀座4丁目付近)および同郷人の家から通学しました。
今月22日は島崎藤村の命日「藤村忌」にあたり、馬籠にある菩提寺の永昌寺では関係者による行事が執り行われます。
そのことからも今回は島崎藤村に焦点を当て、その小説に影響を与えた幼少期のスポットにフォーカスしてみたいと思います。
泰明小学校の横にある案内板にもある通り、彼の小説『幼き日』『をさなものがたり』には、銀座で過ごした幼少期が描かれていますが、先日岐阜を訪れた際に、彼の生家の前を通る機会に恵まれました。
生家は、江戸時代に本陣、庄屋、問屋を兼ねた旧家!
彼が東京出身ではないことを身をもって実感するとともに、彼の作品に興味を持つきっかけとなりそうなエピソードも入手しました。
(「藤村記念館」として残る生家)
彼の生家の隣には、栗こわめしで有名な「大黒屋茶房」があります。
当時は造り酒屋を営む「大黒屋」として知られ、馬籠宿の問屋や年寄役を担っていました。
こちらはなんと彼の初恋の人とされるおゆうさんの家でもあったそうです^^
また、父をモデルとして明治維新前後を描き、歴史小説として高い評価を得た長編小説『夜明け前』は、当時の馬籠宿や周辺の宿場町の様子を伝える「大黒屋日記(年内諸事日記帳)」の影響を受けているといいます。
このような小説の背景を知ると、幼少期に小説世界の源泉がある作品を手に取ってみようという気になりませんか?
地方都市に行くと、必ずと言っていいほど中央区に結び付く人物や物事が見つかります。
それだけ現在の中央区は、当時の日本の中心、そして憧れの地ともいえる場所だったのかもしれません。
今後も面白いつながりを見つけたらブログでご紹介していきたいと思います^^