中央区のセラピードッグ チロリの仲間たち
こんにちは、湊っ子ちゃんです。
前回、築地川銀座公園にブロンズ像のある、日本初のセラピードッグ「名犬チロリ」のことをご紹介しました。
チロリの育ての親である、国際セラピードッグ協会(日本橋人形町)代表、大木トオルさんは、殺処分寸前の犬や、東日本大震災により家族と離ればなれになった被災犬を救助し、セラピードッグに育てる活動をなさっています。
今回は、大木トオルさんのお書きになった「いのちをつなぐ セラピードッグをめざす被災地の犬たち」(2012年刊 岩崎書店)という本をご紹介したいと思います。
♪ 福島の犬たちからのSOS!
2011年(平成23年)の東日本大震災に伴う、福島の原発事故。そこには、飼い主を失った犬や、避難所の受け入れ体制が間に合わず、その場に残された犬などがいました。誰だって、大切な家族の一員を、置いていきたくなんかなかったはずです。警戒区域だけでも、登録されていた飼い犬は、5800頭にものぼります。
誰もいなくなった町を、飼い主を探してさまよう犬の姿がありました。原発の復旧にあたる作業員たちの乗るバスを、飼い主が乗っていると思い、どこまでも追いかけてくる犬たち。どんなに心細かったことでしょう・・・。
大木トオルさんは、ある日連絡を受け、福島へ駆けつけました。そこには、保護された2頭の犬がいました。やせ細り、歩くこともできなくなっていました。大木トオルさんは、この2頭を引き取ることに決めました。
その後も、「殺処分されそうな犬がいます!」という連絡が入るたびに、大木トオルさんは着の身着のまま駆けつけました。どの犬も、心と体に傷をおい、恐怖と戦っていました。地元のボランティアさんとのバトンリレーのような、犬の救助の日々でした。
ある、山間の小さな犬拘留所での出来事です。
殺処分寸前だった犬たちを車にのせ、大木トオルさんが帰ろうとしたとき、犬拘留所の人が言った言葉が、大木トオルさんは忘れられないといいます。
「すんません・・・」
― 私の目をまっすぐに見て、こう言ったのです。ほっとしたような表情をしています。ひとりで殺処分の仕事をしている、この人がつらくないはずがありません。―
(「いのちをつなぐ」大木トオル著 岩崎書店より)
この場面からは、未だ殺処分という仕組みがなくならない社会への怒りと、ひとりの力ではどうしようもできない悔しさ、言葉にならない悲しみ、そしてこれ以上動物のいのちを犠牲にしたくないという祈りが強く迫ってくるようです。
そして、大木トオルさんの活動が目指すもの、それは、”殺処分をなくす”ことです。
♪ 14頭の新しい仲間たち
こうして、大木トオルさんに救助された14頭の被災犬たちは、新しいチームとなり、セラピードッグになるための訓練をはじめました。
リーダーの「日の丸」は、柴犬の雑種。次に続くのは黒毛の「きずな」。地震のあと、山中で生まれた「福」と「幸」。おなじく野犬として生まれた「金次」と「銀次」。山中で片足を失ってもがんばってきた「ムサシ」。
のんびりおじいさん犬「チロ太」。白いテリア「こざくら」。二枚目の「ヤマト」。みんなのお守り的存在「小梅ばあちゃん」と「ゆう」。愛嬌たっぷり「秋姫」。逆風にもめげない「かんたろう」。
震災から2ヶ月後、そのうちの3頭が、先輩セラピードッグたちと一緒に被災地へ向かいました。避難所の人達は、大変喜んでくれたそうです。そこには、日の丸ときずなが、避難所で暮らすおばあさんに抱っこされる写真が載っていました。
おばあさんは、きずなの頭の毛を、手入れしてあげていました。私は、はっとしました。セラピードッグとして来た犬を、反対に気遣ってくれているのです。ご自分の飼っていた犬を思い出したのかもしれません。いつも、そういうふうにしてあげていたのかもしせません。
もしかしたら、セラピーというのは、どちらか一方から与えるものではなくて、人と犬が出会ったときに、お互いの間に生まれる”安心感”のようなものなのかなぁって、そんなふうに思いました。だから、犬のほうも、人と触れ合うことはきっと幸せなのです。私は、この写真を見て、ほっとさせられるような思いがしました。
同じ境遇に置かれ、遠い地で訓練を受け戻ってきたセラピードッグたちの存在は、避難所の人たちにとって、明るい希望になりました。
本のなかには、それぞれのセラピードッグたちの写真もあり、保護されたときの様子や、あどけない素顔、セラピードッグとしての訓練を受ける毎日の出来事が、大木トオルさんの優しいまなざしで描かれています。
チロリは、空からその様子を見て、後輩たちがたくましく育ってくれていることを、喜んでいるでしょう。
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第62号 令和元年11月4日