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元祖カツカレーのお店〔バー&グリル 銀座スイス〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年3月 6日 12:00

築地2丁目にある「バー&グリル 銀座スイス」は、昭和22年創業老舗洋食店支店になります

銀座スイスは、カツカレー発祥の店として有名で、その誕生エピソードとしては、銀座本店の常連だった巨人軍千葉茂氏の「カレーカツをのせてくれ」の一言で、昭和23年に誕生したとのことです

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ちなみに、千葉氏は、読売ジャイアンツで活躍された往年の名選手で、背番号は、千葉氏が現役引退後、昭和33年に入団した新人の長嶋茂雄氏に譲り渡されました

監督に就任した近鉄バファローズの、バファローは、千葉氏の現役時代のニックネーム猛牛千葉」にちなむそうです                                                                                                            

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ランチで、「ポークカツカレー」を注文

温かいカップスープ付きです

ポークカツは、衣がサクサクで、カラッと揚がっており、あまり厚みがないのも、カツカレーカツとして合っています

カレーは時間をかけて煮込まれていて、シンプルカレーでも楽しめます

中辛具合も私には合っています

カツカレーの組み合わせは最高です

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お店の対応はとても丁寧です

ランチメニューは、日替わりの盛り合わせランチハンバーグステーキスープライス付き)、ハヤシライスなどもあります

銀座スイスのHPはこちら ⇒

http://ginza-swiss.com/index.htm

 

 

◆ 隅田川 わたしの記憶めぐり <渡し編>

[隅田の花火] 2017年3月 6日 09:00

2月最後の土曜日の朝、築地でご飯を食べました。

ここは波除稲荷神社の隣、築地場内市場の「海幸橋門」。場外市場に新しくできた「築地魚河岸・海幸橋棟」の建物があるところです。

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築地は隅田川の河口近くにありますが、この近辺にはかつて、かちどき・月島・佃の3つの渡し舟がありました。今日は風もなく良い天気。時間もあるので渡し舟の面影を探しながら散策してみることにしました。まずは近くの勝鬨橋へ。

 

 

歩いて4分くらい、勝鬨橋のたもとには大きな「かちどきの渡し碑」があります。説明板をみると先程の「波除稲荷神社」の辺りに渡船場があったと書いてあります。

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神社の隣の「海幸橋門」の名前は、もちろん「海幸橋」に由来します。そこは隅田川から離れた内陸の場所になるのですが、昔は隅田川に繋がる川が流れていて海幸橋のあたりに渡船場があり隅田川に舟が出ていたようです。

 

近年に川が埋め立てられ、橋も無くなり、わずかに橋の親柱と築地場内市場の「海幸橋門」という名前だけが残りました。豊洲への市場の移転が予定されている今、「海幸橋門」の名前は無くなってしまうと思うのですが、川の跡地に建てられた「築地魚河岸・海幸橋棟」の名前が川と海幸橋のわずかな記憶をつないでいくことになりました。

 

 

勝鬨橋を渡りました。対岸の「勝どき」から見た隅田川、築地方面の風景です。

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勝どきという町名と勝鬨橋という名前は「かちどきの渡し」に由来します。渡し場の名前はその土地の名前から付けられることが多いですが、ここは渡しの名前の方が先でした。

1905年正月、日露戦争で旅順の要塞を攻略したことを記念して京橋区民の有志が渡船場を設置し「かちどきの渡し」と名付けました。築地はかつて海軍関連の施設が多くあったという歴史があるのですが、それも関係しているのでしょうか。

 

勝鬨橋ができた1940年に渡し舟はその役目を終えました。

 

勝どき側のかつての渡船場は、今工事中の隅田川テラス、ここのちょっと左側辺りです。渡し舟の名残は今は見つけられませんでした。

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ここ勝どきから月島にある「月島の渡し跡」に向かいます。

 

 

 

月島で一番隅田川に近い道沿いを歩くと「わたし児童遊園」という公園があり、ここに「月島の渡し跡」という説明板があります。渡し舟の名残はこの説明板と公園の名前ぐらいでしょうか。

月島や勝どきは埋立地です。この辺りが埋め立てられた後、程なくして渡し舟が作られました。渡し舟は月島の土地のはじまりと共に時を重ねてきたことになりますが、ここも近くに勝鬨橋ができたことにより廃止となりました。

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ここに隅田川河畔によくある案内板がありましたので、今日歩いたところを説明してみます。赤い線が歩いたところ。月島から川をさかのぼって佃まで行き、最終的には佃大橋を渡って鉄砲洲の湊公園までのルートです。

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「わたし児童遊園」からは隅田川テラスに出ることができるのですが、今は工事中で出られず対岸を見ることができません。

そこで少し上流にある「月島3丁目児童遊園」から、対岸の渡船場があった方向を写しました。老舗料亭「治作」が見えるあたりに渡船場があったようです。その奥の白い建物はポンプ所です。

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この対岸にも「月島の渡し」の説明板があります。説明板には、おおまかにこのようなことが書かれています。

 

・月島の渡しは明治25(1892)年、土木請負業の鈴木由三郎が明石橋橋詰の南飯田町(現在の築地7丁目18番)から月島(現在の月島3丁目24番)へ手漕ぎの船で私設の有料渡船を開始したことに始まる。

・明治34(1901)年に月島への交通の重要性を考慮した東京市が渡船の市営化を決め、翌35年に明石町(現在の明石町14番)に渡船場を移設し無料汽船曳舟2隻で交互運転を開始した。

 

後日写真を撮りました。説明板のある一角は築地七丁目、左の奥にある建物が明石町の「治作」でそのうしろに隅田川が流れています。不思議なのはこの説明板は隅田川岸際から結構離れた場所にあることです。

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渡船場は「明石橋橋詰の南飯田町」と説明板に書いてありますが、何処だかわかりません。

ここで、中央区観光協会のスマホアプリ「中央区まち歩きマップ」を開きます。このアプリの特筆すべきところは、江戸・明治・昭和の各時代の中央区の古地図が見られるところで、今自分がいる場所もGPS連動で古地図上に示されます。

 

なんとこのあたりには昔、隅田川に斜めにつながる水辺があったところで、ポンプ所は水辺の跡地、治作の前の道は「明石橋」が架かっていた所でした。明石橋の橋詰は、現在説明板のある場所でまさしくここに渡船場がありました。治作のあたりは明石町14番なのでのちに渡船場が移った近辺と思われます。

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ちょっと強引に昔の水辺を水色で塗ってみました。今の「あかつき公園」はかつて「明石堀」と呼ばれた広い水辺空間でした。ここから「鉄砲洲川」が今日のゴール地点の近くまで流れていました。

古地図を見て歩く楽しいところは、「宝の地図」を見てお宝を探すような気分を味わえるようなところでしょうか。

  

  

 

「佃島渡船の碑」がある佃まで来ました。江戸の初期からあった佃島の歴史ですが、この佃の渡し舟の歴史も同じ頃から始まります。渡し舟にはいろいろな変遷があったようですが、オリンピックのあった1964年に佃大橋が開通したことで長い歴史に終止符が打たれました。

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この碑の写真をバシバシと撮っていたら、老夫婦が近づいて来ました。月島から歩いてきてこれから住吉神社にお参りに行く、とのこと。90歳のおじいさん。ゆっくりといろいろな話をしてくださいました。

  

3つの渡し船が動いていた頃のことをすべてご存知でした。勝鬨の渡しの船が一番小さかっただとか、橋ができて舟が無くなったとか、豊海の埋め立て地はまだ無かったとか。

 

まさにお宝の時間でした。どうもありがとうございます。

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佃大橋を渡り上流を眺めます。佃大橋のたもとに桜の木があるのですが、その下にもうひとつの佃島渡船の碑があります。ここが渡船場だったところです。桜が咲いてテラスを歩けるようになるのも、あとちょっとです。

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かつての鉄砲洲川の河口があった辺りにある「湊町第1児童遊園と汐見地蔵尊」。川は関東大震災の頃に埋め立てられたとのことですが、佃の渡しの渡船場はこの河口付近にあった時代もありました。

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ここに川が流れていたということは今は全く想像ができないのですが、風景が変わってしまっても水辺の記憶というものは探してみると意外なところに息づいているもので、もしかしたら何かを見つけられるのかもしれません。

 

 

ゴール地点の「湊公園」。隅田川テラスの工事が終われば直接テラスに出られるようになる公園です。

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上流には「中央大橋」が見えるなかなか景色の良いところ。江戸時代、このあたりは遠方からやって来た大きな帆船がたくさん停留し、小さい船に荷を移して江戸市中に運んでいったところといいます。そういう景色を想像し、思いを馳せるのにも気持ちが良い公園になりそうです。

 

 

 

銀座かねまつ 足元に春

[銀造] 2017年3月 5日 18:00

晴海通りから銀座4丁目角まで歩いていると、銀座三越手前に「銀座かねまつ」さんのお店があります。

女性用の靴と鞄の専門店です。

鮮やかなグリーンに黄色い花の様な物を点々と散らした装飾です。 春の訪れを感じさせる「菜の花畑」の様です。

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お店の前を通った時には、よく目を凝らしてご覧ください。

お花に見えるのは、そして芝生に見えるのは、何か別の物のようです。

遊び心があって嬉しい、ショーウインドウの装飾です。

お店のHPは、こちらです。http://www.ginza-kanematsu.co.jp/

 

 

マロニエゲート銀座2&3、グランドスタート!

[ジミニー☆クリケット] 2017年3月 5日 16:00

昨年暮れの12月31日に閉館したプランタン銀座が、マロニエゲート銀座2&3として、今月新たにオープンします

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グランドスタートは、3月15日)です

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新登場・銀座初出店のお店が32店舗も加わるそうです

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マロニエゲート銀座2&3のHPはこちら ⇒

http://ginza2.marronniergate.com/index.html

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波除稲荷神社 東京福めぐり 名残の雛神事

[銀造] 2017年3月 5日 14:00

 波除稲荷神社では、 「東京福めぐり」でお参りする方々に、金箔の折り帳に押印授与しています。

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「東京福めぐり」は、東京の有名な神社を巡り、福を授かりましょうというもので、

参加神社は、浅草神社、鳥越神社、福徳神社、波除神社、烏森神社、高輪神社、、戸越八幡神社、上神明天祖神社の八つの神社 です。(都営浅草線の北方からの駅順)です。
中央区の神社では、"芽吹稲荷" 福徳神社(日本橋駅)、 "築地の波除さま" 波除神社(東銀座駅)が参加されています。

参加していた方にお話を聴くと、各社とも御祭神も御利益もさまざまで、商売繁盛・家内安全・出世開運・良縁成就・学業成就・技芸上達・健康長寿・病気平癒・安産健育・災難除け...などなど。

八社巡り終えると十の御利益があるのだそうです。

 また、築地の波除稲荷神社では、「名残の雛神事」が開催されます。

 「名残の雛神事」とは、先ず、御役目を終えたお雛様を神社で預り、一般の方々にご観覧頂いた後、お焚きあげするものです。

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お雛様の「お預かり」の期間は、、2月4日から3月18日までです。 「展示期間」は、 3月20日から28日までです。 築地近辺でのお買い物の際に、是非、お出かけ下さい。

 

 

「西河岸橋」界隈

[橘] 2017年3月 5日 09:00

今月初めにガイドで日本橋をご案内した時に、和菓子の榮太樓總本鋪に寄って お話を伺いました。

 

私は以前、東野圭吾さんの小説「祈りの幕が下りる時」に登場する神田川と 日本橋川の橋に関連してブログを書いていましたが、暫く中断してしまって いたのを思い出し、今回は続編として「西河岸橋」界隈に付いて書かせて頂きます。
 

この辺りは現在は日本橋川に沿って日本橋本石町、室町、八重洲という住所 ですが、江戸時代は川の西側が「西河岸」と呼ばれていたのに因んで「西河岸橋」 と名付けられています。

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泉鏡花の名作「日本橋」の舞台としては有名ですが、橋自体の造りには特徴が無く 大変地味な橋です。 昭和の中頃迄東京駅~小岩駅を走る都バスが橋を渡って走っていました。東京駅から橘町 (現在の東日本橋三丁目)の家に帰る時にバスが通るのがこの西河岸橋では無く、 "どうせなら日本橋を通って欲しいな"と子供心に思ったことを今でも覚えています。
 

ということで、橋に関してはあまり書くことは無いので、界隈に付いて書きます。
 

「日本橋西河岸橋地蔵寺教会」の地蔵菩薩は行基が彫ったとされています。又、泉鏡花の 「日本橋」を上演する際に花柳章太郎がお千世役を演じるに当たり、奉納した「板絵着色 お千世の図額」が現存しています。

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永代通の呉服橋交差点にあるみずほ信託銀行のビルの壁面には竹久夢二が開業した 「港屋絵草子店」の記念碑が埋め込まれています。

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又、浜町の明治座の向かいにあった水天宮仮宮の清洲橋通を挟んで反対側には 現在も「港屋絵草紙店」があります。ここでは、竹久夢二関連の商品を沢山並べて 販売しています。

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西河岸橋の辺りには、美味しい和菓子屋さんがあります。

榮太樓総本店でお聞きした説明では、江戸時代の安政年間に「金鍔」の屋台を出し 日本橋魚河岸にやって来るお客さんに販売したところ大繁盛し、この地に店を 構えたのが始まりということです。

現在でも榮太樓の金鍔は目玉商品であり、特徴は刀の鍔の様に丸い形をしている ところです。

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URL: http://www.eitaro.com/
 

 
又、近くには、「うさぎや 日本橋本店」があります(中央通店もあります。 本店は土・日・祝日定休ですが、こちらは土曜は開いています)。 「うさぎや」は上野(うさぎや発祥の店)や阿佐ヶ谷にもお店があります。

どら焼きが有名ですが、私はここの最中もとっても美味しいと思います。

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URL: http://www.wagashi.or.jp/tokyo_link/shop/0303.htm

日本橋からちょっと入った所ですが、三越や高島屋に来られた際にでも立ち寄って みては如何でしょう。