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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「新富座こども歌舞伎」 -10周年記念 例大祭公演-

[クラさん] 2017年5月 8日 12:00

「新富座こども歌舞伎」は、明治時代に栄えた東京一の劇場「新富座」の名を冠し、平成19(2007)年の春に大都会の地芝居として旗揚げされました。今年は10回目の例大祭公演となり、5月5日のこどもの日に鉄砲洲児童公園に特設舞台を組み、"鉄砲洲稲荷神社・奉納歌舞伎"として野外公演にて催されました。

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演じるのは中央区在住の同公演が卒業公演となる新中学1年生3人と小学生22人が出演しました。演目は「口上」に始まり、「寿式三番叟」・「菅原伝授手習鑑」・「元禄花見踊」・「白浪五人男」の豪華4本だての華やかな舞台でした。

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また、幕間には「富くじ大会」も行われ、協賛の企業等から数多くの賞品が提供されました。最後は、出演者全員が舞台に勢揃いし「新富座こども歌舞伎」の会の諸河代表による御礼で終演となりました。

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好天に恵まれ、野外の舞台で見事な子供達の役者ぶりが繰り広げられ、大勢の来場者を魅了しました。今後とも活動を続け、貴重な伝統芸能を伝承していってほしいと強く思いました。

 

 

「門跡?橋」があった。

[朱房の十手] 2017年5月 7日 12:00

5門跡橋.jpg門跡?橋

 

晴海通りを勝鬨橋方向に向かい、本願寺の裏手になります。

右手には「築地魚河岸」があります。

 

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2枚目の写真に「門跡」と書かれていたので、水門の跡だと思ってましたが気になり、調べてみますと「門跡橋(もんぜきばし)」という名前の橋でした。

  
「橋」の字が雑草でかぶった状態です。3枚目の写真には昭和3年6月~、復興局建~、まででその先は地中に埋まっています。何と書かれていたのか気になりますね~

1枚目の古地図 文久元(1861)年では、川であったことがわかります。矢印の場所辺りに橋がありました。矢印の左手は本願寺です。今よりもずっと大規模ですね。

 

魚河岸で買い物ついでに覗いてみては如何でしょうか。

 

 

 

築地本願寺 史跡の設置場所変更

[銀造] 2017年5月 6日 16:00

 築地を訪れるほとんどの方々が必ず参拝する築地本願寺。正式名称は、「京都西本願寺築地別院」と言います。

ご本堂は関東大震災で崩壊した後、伊東忠太博士の設計により、古代インド様式の石造建築物として、昭和9年(1934)に再建されました。 現在、境内の整備中です。2017年10月末整備完了予定です。

そこには、親鸞聖人の像、

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 九条武子夫人歌碑、琳派の画家・酒井抱一の墓、眼科医・土生玄石の墓、佃島造営・日本橋魚市場開設に尽力した森孫右衛門の墓、赤穂浪士の一人・間新六供養塔などが祀られています。

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これらの史跡は3月末に移転を終え、正門から入って右手に祀られています。築地のお買い物の前後に、参拝と歴史探索を楽しまれては如何でしょうか?

 

 

智泉院から等覚院へ「薬師如来像」

[達磨] 2017年5月 5日 18:00

茅場町天台宗寺院の「智泉院」は、江戸時代、茅場町薬師の名で広く知られ、庶民の篤い信仰を集めたという。本尊の薬師如来像は明治時代の廃仏毀釈運動などの影響もあって、現在は川崎市宮前区の天台宗寺院「等覚院」に安置されている。

 

等覚院の本尊は秘仏・不動明王ですが、薬師如来像は川崎市の重要歴史記念物に指定されています。ここは「つつじの名所」「ぜんそく平癒」祈願などで、川崎市民の散歩コースにもなっています。

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「吉田松陰」がここにいる理由。@箱崎公園

[えだまめ] 2017年5月 4日 12:00

先日、ロイヤルパークホテルのランチビュッフェに行った帰りのこと。

(その時の記事はこちら → http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2017/04/post-4276.html

一緒に行った友人とおしゃべりしながら彼女の勤務先の近くまでおさんぽ。

せっかくなので、いつもは行かないその近くの公園で

娘・あずきを遊ばせていこう・・・と思って

「箱崎公園」までやってきました。

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こいのぼりがいっぱい飾ってあって、季節を感じますね。

時間帯もちょうど小さい子はお昼寝タイム?だったからか

同年代の子たちはあまりいなくて滑り台で遊び放題のあずきでした。
 
 

・・・ふと見つけたのが

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こちら。「吉田松陰像」です。

一瞬頭の中には「?」が。

「松陰先生ゆかりの地、っていうと小伝馬町の十思公園だよね?」って思ったので。

小伝馬町の牢屋敷が最期の地ということで

その跡地の十思公園には記念碑がいくつか建っていますよね。

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2016/06/post-3419.html

(↑過去の先輩特派員さんの記事にも取り上げられています)

 

どうしてここに??と思っていたら傍に説明板、ちゃんとありました。

それによりますと・・・

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昭和12年(1937年)の末、この地にあった箱崎尋常小学校の6年生

岩井光子さんが病気で亡くなりました。

成績優秀な光子さんは特に吉田松陰の生き方に感銘を受けており

亡くなる前に自分の貯金で学校内に吉田松陰の銅像を建ててくれるように両親に遺言をしたのだそう。

(・・・そういう時代、だったのかもしれませんが

 今時の子どもではなかなか出てこない発想かもしれませんね。)

両親は生活が苦しい中でもこの願いを実現し、昭和13年(1938年)3月22日に

盛大に除幕式が行われました。

当時、この話は「教育美談」として東京日日新聞に表彰され

除幕式には当時の文部大臣や東京市の関係者などが多数参列しました。

像は竹山蘭山が制作、「松陰先生」の文字はこの話に感銘を受けた

海軍大臣高橋三吉が揮毫したものです。
 

昭和19年に小学校は戦火を逃れるため疎開した後に廃校となりました。

しかしこの像はずっとこの地で箱崎町を見守り続けています。
 

母となった身としては

「光子ちゃん、悔しかったろうな。お母さんもつらかったろうな。」

という感想が先に立ってしまうのですが。

彼女の想いがこの地域の子どもたちを守ってくれますように、と

願わずにはいられないのでした。

 

 

 

越後屋にきぬさく音や衣替

[GPP] 2017年5月 3日 09:00

 「俳句」をテーマに、江戸時代に人気を博した俳人、榎本其角(後に宝井其角)、および、其角にちなんだスポットを紹介します。其角が詠んだ句、其角が過ごした時代・街を身近に感じていただきたけましたら幸いです。

 

 また、「俳句をユネスコ無形文化遺産にするため、推進協議会が発足した」というニュースを、先日(2017/4/24)耳にしました。認定されれば、俳句が一層注目を浴びることになりそうです。

 


1. 俳人 其角(きかく)


 

 中央区日本橋茅場町に、其角住居跡の碑があります。

20170429_其角住居跡.JPG 碑・其角住居跡 (中央区茅場町)

  

 俳諧を文芸の域にまで確立したのが、江戸時代の俳人「松尾芭蕉」です。その芭蕉の門弟で、蕉門十哲(しょうもんじってつ)に数えられているのが、「其角」です。

 静けさを詠んだ芭蕉に対し、其角は江戸を題材に、多くの洒落た句を詠みました。芭蕉の没後、其角は「江戸座」を起こし、江戸っ子気質を反映した粋な句風で一層人気を集めました。

20170429_芭蕉翁像_史跡展望庭園.JPG 芭蕉翁像・史跡展望庭園  (江東区常盤)

 

 では、其角の句を見てみましょう。以下、どちらも江戸を詠んだ句です。(句の意味やゆかりの場所は、次のページ(続き)をお読みください。)

 越後屋にきぬさく音や衣替

 鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春

20170429_熈代勝覧_越後屋呉服店.JPG 熈代勝覧 (越後屋呉服店)

 

続きを読む: 越後屋にきぬさく音や衣替

 
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