Hanes

記念日で知るあの頃の中央区~3月編~


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
今年もあっという間に3月になりました!
今回も記念日を手がかりに、中央区の歴史を少し掘り下げてみてみたいと思います♪

画像:1900年の銀座通り(出典:写真の中の明治・大正-国立国会図書館所蔵写真帳から-、保護期間満了)

靴の記念日(3月15日)

3月15日は、日本靴連盟が1932年に制定した靴の記念日です。
遡ること1870年のこの日、西村勝三が入船に日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開きました。

明治村開村記念日(3月18日)

1965年のこの日、愛知県犬山市に明治の建築物を保存・展示する博物館明治村がオープン!
なぜ中央区内の施設でもないのに今回ご紹介したのか...それには歴としたわけがあります^^

それは、関東大震災で焼失・落橋せず、橋上の避難者を救ったことから「人助け橋(お助け橋)」とも呼ばれる新大橋の旧橋の一部が、この博物館明治村に移築・保存されているからなのです!
(参考:中央区「区内の文化財-新大橋の橋名板」
歌川広重の木版画にも描かれた新大橋...明治村での移築・保存については、先輩特派員 隅田の花火さんの記事「◆明治村にある「お助け橋」 隅田川新大橋の旧橋」をご覧ください。

一方、同様に引退した中央区内の橋のうち弾正橋は、旧弾正橋(八幡橋)として現在江東区の富岡八幡宮の近くに現役の橋として保存・活用されています。
詳しくは、過去記事「【遠足シリーズ第6弾】東京最古の現役鉄橋を探して」をご覧ください。
(※一部の写真が正しく表示されておりませんので、ご了承ください。)

日本橋人力車の日(3月24日)

3月24日は、日本橋で人力車の運行を行う「くるま屋日本橋(現・日本橋 松武屋)」が制定した記念日です。
1870年のこの日、人力車を発明した3人に東京府より人力車の製造と営業の許可が下り、日本橋で営業を始めたことを記念しています。

 記念日で知るあの頃の中央区~3月編~

20世紀初頭の日本橋(出典:写真の中の明治・大正-国立国会図書館所蔵写真帳から-、保護期間満了)


明治維新後も、日本橋の様子を収めた写真には人力車が見て取れます。
現代でも当時の古き良き伝統を復活させようと、浅草のみならず、日本橋、ひいては中央区全体で人力車を見かける機会が増えてきました。
おそらく日本人の多くがそうであるように、私自身まだ人力車を利用したことはありません。
しかし、今後海外から来られる旅行者の方々に人力車をご紹介する機会もあるのではないかと考えると、実際に利用してみるのもありなのではないかという気になりました。

八百屋お七の日(3月29日)

1683年のこの日、八百屋の娘・お七が、市中引回しの後火あぶりの刑に処せられました。
詳細は割愛しますが、大火で避難した際に恋に落ちた男性に再び会うため自ら放火し、その罪で命を落とすこととなりました。

 記念日で知るあの頃の中央区~3月編~


火あぶりの刑となったのは鈴ヶ森刑場ですが、それまでは小伝馬町の牢屋敷に入れられていたと言われています。
江戸時代の牢内の様子については、歌舞伎「四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)」で知ることができます。

余談ですが、江戸時代の死刑執行人も、フランスのサンソン家やドイツのライヒハート家のように世襲制だったようです。
これまでは罪を犯した側の人ばかりを取り上げてきましたが、牢屋敷(または処刑する)側の人たちについても今後意識して調べてみようと思いました。