【遠足シリーズ第29弾】復元・晴海高層アパート(前編)
~居住者・家賃・部屋の全貌に迫る!~
こんにちは。感染症対策を十分にしたうえで、アクティブな活動を再開したHanes(ハネス)です。
2020年3月から対面での取材を控えていたこともあり、今回は久しぶりに特派員らしい記事が書けそうです。
既に1年以上前にはなってしまうのですが、2020年4月に掲載した記事「『晴海に残る跡地』で高層住宅の先駆けに迫る」で、前川國男氏が設計した晴海高層アパートをご紹介しました。
その際に、都市再生機構の集合住宅歴史館にある晴海高層アパートの復元を見て、こちらのブログでご紹介したいという課題で締めくくりました。
今回はついにその貴重な復元を間近で拝見できたので、前編、中編、後編に分けて記事にしたいと思います。
(※写真撮影・掲載許可をいただき、記事を執筆しております。)
戦後日本の合理性の追求を反映!「晴海高層アパート」とは
そもそも「晴海高層アパート」とはどのようなアパートだったのか、改めて簡単にご紹介します。
設計:日本住宅公団(現・独立行政法人 都市再生機構)/前川國男
竣工:1958年
総戸数:168戸(非廊下階住戸:約39㎡、廊下階住戸:約30㎡)
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造10階建て
特徴:公団初の高層住宅。3層6住戸分を一単位とするメガストラクチャー工法、エレベーター導入(スキップ形式のアクセス方法)、従来の寸法にとらわれない畳、ステンレス製プレス加工流し台など
銀座の夜景が見え、東京湾を望むこのアパート。
一体どのような人たちが、どのくらいの家賃を支払って居住していたのでしょうか。
案内してくださった方の説明によると、勤労者向けに建てられたこのアパートは、月収が家賃の4倍以上の人に限って賃貸が可能だったそうです。
以下の写真に写っている資料によると、エレベーターがとまらない階の最低家賃が1万2000円。
現在の金額に換算すると、約25~26万円とのこと。
つまり、月収約100万円、年収約1200万円の人が住む高級アパートだったということになります!
そのため、居住者は社長や経営者が多く、アパートのそばには黒塗りのハイヤーが列をなしていたそうです。
(エレベーターについては中編で詳しくご紹介します。)
(エレベーターのとまる階はもう少しお得な家賃設定)
このアパートに課せられた課題は、中層住宅と同じコストで高層住宅を実現するというもの。
これにより、コストの高い鉄骨の使用量を減らし、将来規模拡大を許容できる大架構を採用。
これにより、エレベーターの停止階が限られ、コスト削減につながりました。
さらに前川氏による従来の計画では、コルビュジェに倣って1階をピロティ(柱に囲まれた空間)にする予定でした。
しかし、戦後の住宅難対策で1階にも部屋を入れるようにと国から命令を受け、ピロティは実現しなかったのです。
では、ここから晴海高層アパートの住戸内(非廊下階住戸、廊下階住戸)を見ていきます。
非廊下階住戸
非廊下階住戸は39㎡と、現代のワンルームマンションより約10㎡広め。
玄関は鉄製で、靴のまま広々としたバルコニーに出られる設計になっています。
部屋はというと、居室が2室、台所・食事室、浴室、お手洗い。
室内は、畳とふすまの幅が同じであることから、すっきりとした見た目となっています。
さらには、窓枠と障子の幅を同じくし美しく見せる、欄間にガラスを使用して空間を広く見せる、外からの視線対策のため一番上のガラス以外をすりガラスにするなど、細部に前川氏のこだわりや工夫が見て取れます。
流し台は、溶接から1枚のステンレス板をプレス加工したものになりました。
公団初のステンレスの流し台とのことで、思うような加工ができるまで実に400枚以上のステンレス板が使われ、最終的には四隅に巣鴨のお地蔵様を置いてプレスしたほど。
当時の技術者の苦労がよく伝わってきます。
こちらのライトは、お手洗いとお風呂場の間に設置された「両面灯」と呼ばれるもの。
一度に両方の部屋を明るくすることができ、コストもおさえられる優れものでした。
左側の写真はお手洗いの様子です。
公団では1960年から木製便座の洋式を採用しますが、晴海高層アパートではそれに先駆け2年早く導入!
部屋が広く見えるようあえて配管を隠さなかったこともこの晴海高層アパートの特徴です。
しかし、このお手洗いの前は食事室。
頭上に配置された配管の中を上階の方の排せつ物が流れていったというのだから、食事中には色々と気になってしまいそうですよね。
右側の写真はバルコニーの様子。
こちらも晴海から移築・復元したもので、現役時代にここから都会の風景を眺めていた居住者たちに思いを馳せながら見学してきました。
廊下階住戸
続いて廊下階住戸を見る前に、簡単に廊下についてご紹介します。
トップの写真から想像できるように、廊下は幅2m、長さ100mと長いものでした。
前川氏は、廊下を子どもの遊び場や井戸端会議の場として設けましたが、実際は騒音が発生し、住民間では廊下で遊ばないようになどといった決まりごとができたそうです。
そして、下の写真から分かる通り、玄関のドアは引き戸。ドアを開けた時に廊下の通行人にぶつからないようこのような工夫がなされたのです。
当初は廊下に共用の電話機が設置されており、電話交換手が電話を受け、住戸内のブザーを鳴らし、居住者が廊下の受話器を取ると繋がるようになっていました。
非廊下階住戸と同様、バルコニーに加え、住戸内には居室2室、台所、浴室、お手洗いがありました。
玄関を入ってすぐ右がお手洗いとお風呂です。
子どもたちが泥まみれになって帰ってきても、奥の部屋に行く前にすぐに洗えるよう考えて設計されていました。
現在のアパートやマンションでも、玄関の近くにお手洗いとお風呂があるという点は似ているのではないでしょうか。
お手洗いの上部には窓がついているのですが、背が高い方だと廊下からお手洗いの中が見えてしまいます。
そのため、当時の居住者たちは、外から覗き見されないよう内側から紙などを貼って対策していたのだそうです。
ここまで晴海高層アパートの居住者、家賃、部屋について見てまいりましたが、いかがでしたでしょうか?
懐かしいと思われる方、新しい発見ばかりだった方など感じ方は様々なのではないかと思います。
そして、設計者・建築者側の工夫と苦労、居住者側の工夫なども少し垣間見られたのではないでしょうか。
中編では、主にエレベーターについてご紹介します。