Hanes

カワウソがいたころの佃島


こんにちは。アクティブな活動はお休み中のHanes(ハネス)です。
昨年10月に「中央区の怪談話 歌妓が恐れた築地の川獺」を執筆して以来、中央区内にいたとされる「カワウソ」のことが気になっていました。
先日、京橋図書館地域資料室にて、大川悦生・作、宮本忠夫・絵『東京にカワウソがいたころーつくだっ子物語ー』(国土社、1987年)という本に出会い、迷わず手に取ってみました。

この本は、1980年代くらいまで佃に住んでいた1891年生まれの女性が語った話をもとに執筆されたもので、タイトルから分かる通り、佃が舞台となっています。

 カワウソがいたころの佃島

佃田島遠景(出典:国立国会図書館「写真の中の明治・大正ー国立国会図書館所蔵写真帳からー」(保護期間満了))


まだ島だったころの佃は、同じ東京で銀座から近いのに、「別世界みたいな島だ」と言われていたそうです。
古い川柳には、「江戸の地図に 点をうったる 佃島」とあり、大江戸八百八町の絵図上に描かれた佃島がいかに小さかったかが詠まれています。
しかしもう一つの川柳には、「島の子は つくだの国と おぼえて居」とあり、当時の佃島の子どもたちは「つくだっ子」「あたいたちの島」などと呼んでいばっていたのだとか。

さて、前置きが長くなりましたが、この本の中には、「カワウソの小僧」についての記述があります。

 カワウソがいたころの佃島


このカワウソは、佃小橋を渡ってお風呂屋さんから帰ってくる女の子にさわったり、漁師の四ツ手あみを切ったり、干した魚をごっそり持って行ったりしていたと信じられていました。
また、佃小橋のたもとにあったしるこ屋の屋台でも繰り返し悪戯をしていたことが記されています。
カワウソがしるこ屋を訪れるのは決まって他の客がいない時で、その姿は見慣れない男の子。
寒い日にも関わらず、注文するのはぬるいしるこ。
食べ終わると「おかね、ここ」と言って支払いを済ませて姿を消すも、翌日になるとそのお金はうすっぺらな石ころになっていたというのです!

そのような悪戯に困った佃の人たちは、いっそのことカワウソを神様として祀ることを思いつきました。
神主さんにお願いしてお宮の中へ封じ込めてもらったところ、カワウソの悪戯はなくなったそうです。
しかし、時を同じくして川の水が汚れ、埋め立てなどの影響もあってカワウソが佃に寄りつかなくなったとも言われています。

今でも住吉神社の境内の隅には、何も書かれていない「カワウソの宮」が残されています。
写真の掲載は控えますが、近くを訪れた際にはそのお宮を探してみてはいかがでしょうか?

 カワウソがいたころの佃島

イメージ写真(今でも佃にカワウソがいたら、すぐに人気者になりそうですね!)


東京にカワウソがいたころ、4月になると、佃煮の材料となるアミ漁が盛んになりました。
さらにサヨリ漁も始まり、潮の具合を見て、夜でも船が出たそうです。
今のような集魚燈がなく、松の根っこを燃やしていたため、夜の漁を終えて帰ってくるころには、漁師の顔も首も黒猫のように真っ黒になっていたのだとか。

今や古き良き佃を知る者は少なくなりました。
しかし、銀座から大して離れていないにも関わらず、「つくだの国」と呼びたくなる佃ならではの良さや雰囲気が残っています。
佃を訪れた際にはひとたび目を閉じ、まちに漂う香りや聞こえてくる自然の音から、漁が盛んだった時代に思いを馳せてみませんか?