【遠足シリーズ第30弾】復元・晴海高層アパート(中編)
~公団住宅初のエレベーターと特徴的な円形階段~
こんにちは。自分の足で現地に赴き、実際に見聞きしたことや感じたこと、他ではなかなか入手できない情報をお届けすることを目標に活動しているアクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
前編に引き続き、現在八王子に移築・復元されている晴海高層アパートについてご紹介します。
今回注目したのは、日本住宅公団(現・独立行政法人 都市再生機構)で初めて住宅に導入されたというエレベーター!
各階にとまらないエレベーター
前編で少しふれた通り、このアパートは3層6住戸を一単位とするメガストラクチャー工法。
(この工法については、後編で詳しくご紹介します。)
さらにコスト削減でスキップ・アクセス方式が取られたため、このアパートのエレベーターは各階にとまりません。
とまる階は、1階、3階、6階、9階。
つまり、5階の居住者は6階までエレベーターで上がり階段で5階へ下るという仕組み。
慣れるまでは少し大変かもしれませんね。
下の写真にあるように、初来訪者向けに各住戸への行き方を示した案内図が設置されていた理由に納得します。
歴史館内を案内してくださった方が、いかにその構造が複雑だったか分かる例を挙げてくださいました。
それが、7階の居住者が真上(8階)の居住者に騒音の苦情を入れに行きたい時のこと。
2~4、5~7、8~10の3層構造なので、7階から8階には直接上がれません。
そこで、7階から階段で6階に下り、6階の廊下を通ってエレベーター乗り場へ。
エレベーターで9階へ上がり、9階の廊下を通って8階まで階段で下りてくる必要があったのです。
廊下は端から端まで約100mもあるので、騒音元の方がエレベーターから離れた住戸に住んでいる場合、途中で苦情を入れに行く気力も失せてしまいそうですよね。
こちらが当時使用されていたエレベーターです。
カゴ、入口の左右の枠は当時のまま、壁と入口の上枠は資料をもとに再現したものだそうです。
今は動きませんが、実際に乗って当時の面影を偲ぶことができました。
大きさとしては、現代でも年季の入ったビルで使われているエレベーターと同じくらいの小さめサイズ。
壁に設置された説明によると、当時、高層住宅に設けられた無人のエレベーターは珍しく、不慣れな居住者のために電話交換手が昼間だけ操作した時期があったそうです。
1965年以降にエレベーターのある高層住宅の建設が本格化しますが、その基礎的研究がこのエレベーターで行われたのです。
このように不便に思えるスキップ・アクセス方式ですが、南北両面に窓を持つ住戸(非廊下階住戸)の割合を増やすことができるなど利点もあったのです。
2階へのアクセス向上!円形螺旋階段
しかし2階の居住者から、地上階から間近に見えている部屋にたどり着くまでが一苦労という意見が出たため、後に、直接2階にアクセスできる円形階段が7つ設けられました。
(東京理科大学の学生さんが「生誕100年・前川國男建築展」のために制作した晴海高層アパートの模型、縮尺1/100)
ブロックを積み上げたこの螺旋階段はとても緻密な造りとなっており、移築・復元の際は7つのうちのいいとこどりを組み合わせて何とかこの形にしたのだとか。
後編で書きますが、この集合住宅歴史館は近々北区赤羽台に移転します。それに伴い、この円形階段にも再び試練が...
案内してくださった方曰く、移転先では円形階段の高さがこの半分になるかもしれず、当時の状態を間近で見ることができるのは今だけなのだそうです。
2階との連結部分はこのようになっています。
エレベーターを使わず、直接アクセスできるこの階段がどれほど便利だったか分かるような気がします。
最後になりますが、エレベーターのとまる階(廊下あり)ととまらない階(廊下なし)では家賃が異なります。
現代の考え方だと、とまる階の方が便利で家賃が高くつくように思いますが、当時はエレベーターの騒音が少なく、廊下がないことで広い間取りが確保できるとまらない階の方が家賃が高かったそうです。
当時はまだそれほど高層ビルも建っていなかったことですし、各階からどれほどの眺望が楽しめたのかなど、戦後の暮らしへの興味も高まりました。
後編では、前編・中編でも何度か登場した「メガストラクチャー工法」や、その他見学中に気になった小物などをまとめてご紹介します。