約30年の歴史に幕
ありがとう、晴海客船ターミナル!
こんにちは。冬の寒さゆえ、おうち時間が長くなりつつあるHanes(ハネス)です。
そんな中、比較的暖かな日を狙い、2月20日(日)に閉館の迫った晴海客船ターミナルを訪れました。
クルーズ船の大型化や施設の老朽化などいくつかの理由により、世界的なスポーツの祭典が終わってからターミナルが解体されるという話は前から耳にしていましたが、昨年末、東京都港湾局による閉館予定のおしらせが掲載され、閉館予定日が明らかに。
それからというもの、ターミナルの最後の姿を間近で見ようと多くの人が晴海埠頭を訪れる様子をソーシャルメディアなどで目にしてきました。
しかし、残念なことに、新型コロナウイルス感染症に係るまん延防止等重点措置の適用に伴い、2月1日から開催予定だった「晴海客船ターミナルの歴史を振り返る展示会」は延期。
このまま閉館・解体を迎えてしまうのでしょうか?
もう一度開館してほしいという思いも込め、晴海客船ターミナルの歴史や現状を写真メインでご紹介します。
歴史・建物について
そもそも晴海客船ターミナルは、東京港開港50周年を記念して1991年5月23日に開業しました。
同年5年17日付の読売新聞には、ターミナルの完成予想図とともに「ターミナルは九階建てで白いメッシュ状の鉄骨でおおわれた近未来的な外観」「ホールや展望台、ギャラリー、レストランもあり、外国航路の客船などの利用者だけでなく、一般の来訪者にも楽しめる」と紹介されています。
同年8月22日には、「ウォーターフロントの未来を予感させる強烈な目印、ランドマークとして異彩を放っている」「ターミナル全体がライトアップされる夜間はロマンチックなムードが漂い、楽しげに語らうカップルも多い」と描写されています。
ここからは、オープン当初より様々な期待が込められていたこと、来訪者にも親しまれ、愛されてきた場所だったことが読み取れます。
実際のところまさにその通りで、レインボーブリッジが綺麗に見えることから、昼夜を問わず訪れる人が絶えない場所でした。
また、数々の作品のロケ地として撮影が行われたほか、伊原通夫氏によるオブジェ「風媒銀乱」はインスタ映えスポットとして取り上げられることも多く、私も何度も訪れたものです。
そして、対岸やレインボーブリッジからでもすぐに見つかる晴海客船ターミナルの特徴的な建物は、故・竹山実氏によって設計されました。
彼は、「SHIBUYA 109」も手がけたポストモダン建築を代表する建築家の一人。
白いメッシュ状の鉄骨が三角屋根のようになっています。
ここで少し余談です。
ターミナルの象徴的な建物のすぐそばにあるこちらの黒い塔のようなものですが、これが何か気になった方も多いのではないでしょうか?
海上保安庁によると、こちらは「晴海信号所」と呼ばれ、港内交通の管制を行っているのだとか。
写真に写っている「F」の点滅は何を意味するかというと、「自由信号(入・出航の両方可能)」。
他にも様々な信号があり、詳しくはこちらで確認することができます。
このような信号の知識を頭に入れてから港を訪れると、散策がより楽しめるかもしれません♪
気になる現状は?
さて、気になる晴海客船ターミナルの現状(2022年2月12日時点)ですが、新型コロナウイルス感染症の影響で、当面の間館内外の全域が閉鎖されています。
ご覧の通り歩行者用通路も閉鎖され、立ち入り禁止となっていますが、バスや車両の出入りはできているようです。
しかし、閉館・解体まで残りわずかということもあり、老若男女問わず写真撮影などに訪れる方は比較的多い印象を受けました。
こちらの案内より先は立ち入り禁止ということもあり、予定を変更し、久しぶりにレインボーブリッジの北側遊歩道(ノースルート)から晴海客船ターミナルを眺めてみることにしました!
(※3月14日まで南側遊歩道(サウスルート)は閉鎖中ですが、中央区が見えるのは北側です。)
夕陽に照らされる晴海客船ターミナル、そして世界的なスポーツの祭典で使用された建物群、タワーマンション、晴海清掃工場の煙突を写真に収めてきました。
ターミナルの閉館後、建物は解体のための準備に入るということですが、しばらくはその姿を楽しむことができます。
ウォーターフロントエリアを訪れた際には、その約30年の歴史を目に焼きつけてみませんか?
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