にゃんボク

青森県で出会った石川啄木氏の石碑

先日、マグロの一本釣りでも有名な青森県の大間町を訪れたところ、石川啄木の碑が建てられておりました。

石碑には、3つの歌が詠まれています。

歌にある”東海の小島は大間崎の沖合に浮かぶ弁天島のことを詠んでいるとされる。それにちなんで弁天島が見える地に歌碑が建立された”とのこと。

「大といふ字を 百あまり砂に書き 死ぬことをやめて 帰り来れり」
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
「大海にむかひて一人 七八日 泣きなむとすと家を出でにき」

なんと、暗い歌であろうか。と思いつつ「あら、ここで石川啄木さんとは。当時の朝日新聞社の校正係に勤めていた中央区つながりではないか」と思わず写真を撮りました。

単純な私は「ラッキー」とばかりに思っていたのですが、世の中はそれほど単純ではありません。

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さて、石川啄木氏といえば、ご存知の方も多いと思いますが、銀座並木通りに啄木歌碑が建てられています。

瀧山町の朝日新聞社に石川啄木氏が勤務したのは 明治四十二年四月から二十七歳でこの世を去るまでの約三年間。この間彼は佐藤真一編集長をはじめとする朝日の上司や同僚の厚意と恩情にまもられて 歌集「一握の砂」
「悲しき玩具」詩集「呼子と口笛」など多くの名作を残し 庶民の生活の哀歓を歌うとともに時代閉塞の現状を批判した、とあります。銀座の人びとが啄木没後満六十年を記念して朝日新聞社跡に歌碑を建立したのはこの由緒によるものとのことです。


皆さんは石川啄木と聞いて何を想像されるでしょうか。
私は、
・働けど働けど猶わが生活(暮らし)楽にならざりぢっと手を見る、
 ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく、 などの詩
・体も弱く多額の借金や貧乏生活、26歳の若さで早世
・才能を早期に見いだされ盛岡中学時代の人脈など多くの人から支援を受ける人徳者

といった少ない知識から、とにかく才能に溢れ真面目に生きるも体も弱く時代的背景もあり人生をほんろうされた人、との印象を持っておりました。

それは正しい部分もあったと思いますが、一方で
・妻子を顧みずに遊びにお金を費やし多額の借金をする「たかり魔」で、困窮した生活ゆえに頻繁に友人知人からお金をせびっていた。
・友人宛の手紙で蒲原有明を「余程食へぬやうな奴だがだましやすい」、薄田泣菫や与謝野鉄幹を「時代おくれの幻滅作家」と記すなど、自身が影響を受けたり世話になった作家を侮辱したほか、友人からの援助で生活を維持していたにもかかわらず「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと」と詠んだ句を遺すなど傲慢不遜
・「ローマ字日記」ではローマ字で発禁になるような話を赤裸々につづる

など、「天才ではあるが、人としてはクズ」なのではないかとのエピソードに事欠かないようにも思えます。

勿論、文学の品格と執筆者の人格が一致しないのはよくあることですし、殺人を犯したことがない(当たり前ですが)書き手が、素晴らしい殺人推理小説を作り上げるのもままある話です。

 

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さて、冒頭の石碑が、なぜそれほど単純ではないのでしょうか。

掲出歌は1908年(明41)6月23日の夜中、つまり24日の午前になって作った歌です。
啄木は24日午前0時頃から昼の11時頃まで、歌が湧きだして止まらなくなります。作っては書き作っては書き、明け方に散歩した時間以外、ひたすら作り続け113首も作ります。翌日25日も夜になると「頭がすつかり歌になつてゐる。何を見ても何を聞いても皆歌だ」(日記)という状態になり、26日の午前2時までに141首も作ります。合計254首、とあります。

石川啄木は
・岩手県でも内陸部(現盛岡市玉山区渋民)に育ったため「磯=海・湖などの波打ちぎわで、岩や石の多いところ」の正確な意味を知らなかったようで、単に「波打ちぎわ」の意味で「磯」を使っている

・函館勤務経験はあるが、大間には行ったことがないのではないか(明確な記録がない)

・生活困窮時代に自宅で詠んだと思われる歌であり、この時期の歌は空想的な、奇抜な、グロテスクな、あるいは浪漫的なものが多く、「7日も8日も泣いてやろう」などは誇張。「家」に居たくない、「家」では泣くこともできないので、人のいないところへ行って思いっきり泣きたい、と思った経験を誇張して、湧き出るままに記した

など、様々な解釈があり、大間に関係があるのか、弁天島をうたったものなのかそのものにも議論があるようです。

いずれにしても、後世に多大なる影響を残し、啄木の歌の中から解釈可能な「接点」そのものが売りになるような大人物だったのでしょう。

最後に、大間と言えば

最後に、大間と言えば 青森県で出会った石川啄木氏の石碑

やはり「生」マグロですね!旬は10月からのようです。夏は脂のノリが悪いようです。

そして、大間と言えば

そして、大間と言えば 青森県で出会った石川啄木氏の石碑

オーマの休日。どこかで見たことがあるような内容なポスター(笑)。でもこういうの、良いですね!