Hanes

【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
先日、ボランティア仲間で戸越銀座ランチに行ってきました♪
日本全国には「銀座」が含まれる地名や通り名、商店街名が数多くあります。
そのため、私同様に「戸越銀座もそのうちの1つでしょう」と思っている方は少なくないはずです。

しかし、実際の中央区の銀座と戸越銀座の間には、歴史的に興味深い関係性が複数あるのです!
今回はその関係性に迫りたいと思います^^

戸越の由来

まずは「戸越」の由来を見てみましょう。
実際のところ、はっきりとした由来は分かっていないようですが、江戸時代に現在の戸越を越えると相模国(現・神奈川県に相当)に入ったことから、「江戸越えの村」と呼ばれ、そこから戸越になったといわれています。
週末には多くの参拝客でにぎわう戸越八幡神社には、「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがいの糸の とけぬ日はなし」という古歌が刻まれています。

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る


まち歩き時に「江戸」という言葉をたびたび使っていた私でしたが、江戸は「将軍様のお膝元」といわれるように、将軍がいる場所とその周辺の大名屋敷が集中しているあたりといったように漠然とその範囲を捉えていました。
しかし、これを機にどこからどこまでが江戸なのかを調べてみたところ、東京都公文書館「江戸の範囲~天下の大江戸、八百八町というけれど」にとても分かりやすい解説を見つけました♪

こちらの解説によると、そもそも江戸の範囲は、町奉行支配場・寺社勧化場・江戸払御構場所・札懸場等の異なる行政系統により解釈はまちまちで、決まった境界があるわけではなかったようです。
しかしそれではよくないということで、1818年に江戸幕府が正式な見解を発表!
それが、東は中川限り、西は神田上水限り、南は南品川町を含む目黒川辺、北は荒川・石神井川下流限り、という範囲。
この範囲は、江戸朱引図(東京都公文書館所蔵)で視覚的に確認することができます^^

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る


これでやっと戸越が江戸の南端あたりに位置しているということが理解できました。
江戸の範囲については知っているようで詳しいことまでは知らなかったので、戸越銀座訪問を機に江戸についてもう一歩踏み込んで知ることができたのは大きな収穫でした♪

煉瓦がつないだ縁

ここまで「戸越」の由来を見てきましたが、それではなぜ「銀座」がつくことになったのでしょうか。
そこには煉瓦にまつわる興味深いエピソードがありました。

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る

(煉瓦銀座之碑)


遡ること1923年。関東大震災で銀座は壊滅的な被害を受けました。
当時煉瓦街であった銀座が煉瓦の瓦礫の処分に困っていたところ、戸越が瓦礫を譲り受け、当時水はけの悪かった商店街の通りに敷き詰めたといいます。

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る

(煉瓦遺構の碑、金春通り)


そのような煉瓦のエピソードは、戸越銀座商店街東側の花壇に設置されている案内でもう少し詳しく知ることができます。

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る


上半分には、「戸越と銀座のゆかり」の案内板があり、以前遠足記事耐火煉瓦産業への着手にふれ、靴業発祥の地の碑でもおなじみの西村勝三や、銀座のガス灯との関係性も学ぶことができます。

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る


そして下半分には、当時使用された貴重な煉瓦が展示されており、SHINAGAWAと刻まれているのが確認できると思います。
この貴重な煉瓦は、戸越銀座誕生70周年記念として、品川白煉瓦株式会社と当時からの地主である竹内家のご厚意によって展示することができたとのこと。
再利用された銀座の煉瓦が、今でもこうして近くで見ることができて感動しました!

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る

(煉瓦遺構の碑、金春通り)


そして肝心のなぜ地名に「銀座」がついたかという点ですが、その煉瓦に始まる関係に加え、本家銀座のように繁栄しますようにという願いを込めた結果だといいます。
全国に300以上あるといわれている「銀座」を含む地名の元祖とされるこの戸越銀座が、本家銀座との縁によって生まれた由緒正しい「あやかり銀座」だということは、戸越銀座商店街オフィシャルウェブサイトでも述べられています。

そのようにして誕生した戸越銀座は、古き良き商店街の面影を残しながらも、一時的に歩行者天国になったり、電信柱の地下化が完了していたりと、本家の銀座さながらの先端的な商店街としての顔も持ちあわせています。
そして、1.3kmにおよぶ全国的にも長い商店街としても認識されています!

 【遠足シリーズ第20弾】本家「銀座」にあやかった日本初の「〇〇銀座」に迫る

(戸越銀座駅にある商店街の案内図、レンガ記念碑はうっかりすると見落としがちです!)


今回も中央区外にプチ遠足をすることで、中央区の歴史や新たな魅力を知ることができました。
ついに20回目を迎えた遠足シリーズですが、気にはなっているものの、まだ訪れられていない場所がたくさんあります。
2020年こそは、ほぼ未踏の地である関西地方にて中央区との繋がりを探したいと思います♪
(唯一の関西地方での遠足記事はこちらから。)