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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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スワン・カフェ&スワン・ベーカリー

[佐平次] 2015年10月 5日 14:00

 Swan Bakery&Swan Cafeをご存じだろうか?
銀座2丁目、昭和通に面したヤマト運輸本社ビルの隣に「スワン・カフェ」、「スワン・ベーカリー」と並んでいるので見かけたことがあるという人は多いと思う。
一見、銀座にある小じゃれたカフェとベーカリーにしか見えないが、実はこのパン屋さんとカフェはクロネコヤマトの宅急便で知られる、ヤマト運輸が障害者の就労を考え、運営している、パン屋&カフェなのです。

 

 カフェ3.JPG 

 ベーカリー1.JPG
 健常者に比べ、非常に安い賃金で雇われている現状を憂い、障害者の雇用と自立支援(従業員の過半数は軽度の障害がある)を目的として「ヤマト運輸」と「ヤマト福祉財団」により設立された「株式会社スワン」により運営される「スワンカフェ」「スワン・ベーカリー」の第一号店なのです。

 障害者が適正な収入の確保を得られる技術や、環境を得られるように、「焼きたてのおいしいパン」店構想を立て、「アンデルセン」「リトルマーメイド」を全国展開しているタカキベーカリーの協力を得て構想が実現したものです。

 
 1998年6月に「スワンベーカリー」「スワン・カフェ」銀座店が第1号店としてオープンし、現在は直営店4店に「スワンベーカリー」と「スワンカフェ&ベーカリー」チェーン店は24店をこえ全国各地に展開しているそうです。
 この「スワン」はもちろんデンマークの童話作家アンデルセンの作品みにくい「アヒルの子」から付けられたものです。

 

 「スワン・ベーカリー」では年末にはクリスマスケーキも扱います。
 パンはもちろんアンデルセンの技術で焼かれているので美味しいのですが、この店独自の、可愛い焼印が押されている「スワン・マドレーヌ」や「アヒル・クッキー」もお土産に最適です!

 マドレーヌ.JPG クッキー.JPG  

 ベーカリー内にはイートインできるようにカウンターもありコーヒーなどの飲み物もあります。

 パン屋内1.JPG

 パン屋2.JPG

 カフェでは、ランチにはパスタ、グラタン、キッシュ、丼などが用意され、季節の野菜や果物を使ったサンドウィッチやタルト、ミルフィーユなどもあり、夜はバル感覚でビールやワイン、ウイスキーや食事も楽しめます。

 

 sカフェ店内.JPG 

 イチジクと生ハム.JPG 

  

 

 

聖路加国際病院 第2画廊 牧紀子 天然石ジュエリー作品展

[銀造] 2015年10月 5日 12:00

 牧 紀子さんの天然石ジュエリー作品展が、「天の星 地上の星」というテーマで下記の通り開催されます。

場所:聖路加国際病院 第2画廊

期間:2015年10月5日から10月10日(土)

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素敵な作品が、とてもリーズナブルなお値段でお求め頂けると思います。

 

 彼女の人柄と作品は、以前「まるごとミュージアム2014」で、泰明小学校の校庭で行われた作品展でご紹介しましたので、

こちらもご覧下さい。/archive/2014/11/2014-10de.html

 

 

「100周年記念写真展」開催中ー有賀写真館銀座本店

[滅紫] 2015年10月 5日 09:00

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「有賀写真館」といえば「お見合い写真は有賀」と言われていた時代を懐かしく思われる方も多いことでしょう。暑かった夏の終わりの頃、有賀写真館からこの展覧会と一緒に建物の老朽化による「銀座スタジオ閉店」の案内が届きました。「え!」家族の入学、卒業、成人式、年祝いなど節目の行事には「有賀」さんで撮影というのが恒例になっていただけにちょっとショック。早速展覧会をのぞいてきました。お店に伺うのは久しぶりですが、足を踏み入れると以前と変わらない落ち着いた雰囲気に何だかほっとします。展覧会は1階と2階、そして2階に続く階段の壁面。「大倉喜七郎」「マッカーサー夫人と令嬢」「茅誠司」「佐藤春夫」「佐藤栄作」氏など日本の戦後史を感じさせてくれる著名人の写真の他に一般の方の結婚式、家族写真、ユニフォーム姿のお子様などなごやかなご家族の写真もあり、見ているこちらも幸せのおすそ分けをいただいている気分になります。あのクラシックで重厚な雰囲気のスタジオがなくなるのは淋しいですが、今後の新規の撮影は日本橋(ロイヤルパーク)と新宿(京王プラザ)のホテルのスタジオで行われるとのこと。展覧会は12月まで行われていますので、大正・昭和の雰囲気の残る建物と時代を感じさせてくれる写真を是非ご覧ください。

有賀写真館 銀座本店 銀座7-3-6 TEL 3573-4545 126()最終撮影日

写真展 926日から1220日(日)迄

10時~18時まで火曜日定休

 

 

荷風随筆「町中の月」

[CAM] 2015年10月 4日 18:00

「断腸亭日乗」では、しばしば月を観るという記述が見られる。荷風は観月が好きであったらしい。例えば、下記のようである。

 

大正81919)年17日、「夕刻銀座に往く。三十間堀河岸通の夕照甚佳なり」、

大正887日、「半輪の月佳なり。明石町溝渠の景北壽が浮絵を見るが如し」

大正88月9日、「重ねて新富座にて人形を看る。・・・夜、月佳し」

大正8810日、「晩涼水の如し。明石町佃の渡場に往きて月を観る」

 

  現在の明石町佃の渡場跡から観た月(2015年9月28日撮影)

 

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 そして、昭和121月の「中央公論」に「町中の月」という随筆を寄せている(昭和10年冬稿、全集17129)。まだ川が多かった頃の銀座、築地界隈が描かれているので、少し紹介しておきたい。

 

「燈火のつきはじめるころ、銀座尾張町の四辻で電車を降ると、夕方の澄みわたった空は、真直な広い道路に遮られるものがないので、時々まんまるな月が見渡す建物の上に、少し黄ばんだ色をして、大きく浮かんでゐるのを見ることがある。

 時間と季節とによって、月は低く三越の建物の横手に見えることもある。或はずっと高く歌舞伎座の上、或は猶高く、東京劇場の塔の上にかゝってゐることもある。

・・・・・・・・・・・

 服部時計店の店硝子を後に、その欄干に倚りかかって、往来の人を見てゐる男や女は幾人もあるが、それは友達か何かを待ち合してゐるものらしく、名月の次第に高く昇るのを見てゐるのではない。

・・・・・

 わたしがたまたま静に月を観やうといふような―――それも成るべく河の水の流れてゐるあたりへ行って眺めやうと云ふ心持になるのは、大抵尾張町の空に、月の昇りかけてゐるのを見る夕方である。

 東京の気候は十二月に入ると、風のない晴天がつづいて寒気も却て初冬のころよりも凌ぎよくなる。日は一日ごとに短くなり、町の燈火は四時ごろになると、早くも立迷ふ夕(せき)の底からきらめき初める。

 わたしはいつも此時間に散歩を兼ねて、日常の必要品を購ひに銀座へ出る。それ故名月を観るため、築地から越前堀あたりまで歩くのも年の中で冬至の前後が最も多いことになるのである。」

 

 「夕せき」、「夕あい」は、夕方のもや、夕嵐。 荷風の原文を読むためには漢和辞典を要する。

 

 

荷風随筆「町中の月」(2)

[CAM] 2015年10月 4日 18:00

  随筆「町中の月」には、鉄砲洲神社近辺の様子が詳しく描かれているので、もう少し引用させていただく。

 

「むかしは銀座通の東裏を流れてゐる三十間堀の河岸も、月を見ながら歩けるほど静であったが、今は自動車と酔漢とを避けるわづらわしさに堪えられない。築地川は劇場の燈火が月を見るには明るすぎる。鬨のわたし場は近年架橋の工事中で、近寄ることもできない。明石町の真中を流れてゐた掘割は、その両岸に茂った柳の並木と、沿岸の家の樹木とに、居留地のむかしを思出させた處であつたが、今は埋立てられて、乗合自動車の往復する広い道路となった。

 こんな有様なので、わたくしが月を見ながら歩く道順は、佃の渡し場から湊町の河岸に沿ひ、やがて稲荷橋から其向ひの南高橋をわたり、越前堀の物揚場に出る。

 稲荷橋は八丁堀の流が海に入るところ。鉄砲洲稲荷の傍にかゝつているので、その名を得たのであらう。この河口は江戸時代から大きな船の停泊した港で、今日でも東京湾汽船会社の桟橋と、船客の待合所とが設けられ、大島行の汽船がこの河筋ではあたりを圧倒するほど偉大な船体と檣(しょう・帆柱のこと)と煙突とを空中に聳かしてゐる。・・・・・・・・・・・・・・水の上は荷船や運送船の数も知れず、日の暮れかゝるころには、それ等の船ごとに舷(ふなばた)で焚くコークスの焔が、かすみ渡る夕靄のあひだに、遠く近く閃き動くさま、名所絵に見る白魚舟の篝火を思起させる。

 わたくしは稲荷橋に来て、その欄干に身をよせると、おのづからむかし深川へ通つた猪牙舟を想像し、つゞいて為永春水の小説春暁八幡佳年の一節を憶ひだすのである。・・・・・

 稲荷橋をわたると、筋違ひに電車の通る南高橋がかゝつてゐる。電車通りの灯火を避けて、河岸づたひに歩みを運ぶと、この辺は倉庫と運送問屋の外殆ど他の商店はないので、日が暮れると昼中の騒しさとは打つて変つて人通りもなく貨物自動車も通らない。石川島と向ひ合ひになつた岸には栄橋と、一の橋とがかゝつてゐて、水際に渡海神社といふ小さな祠がある。永代橋に近くなると、宏大な三菱倉庫が鉄板の戸口につけた薄暗い燈影で、却つてあたりを物淋しくしてゐる。そして倉庫の前の道路は、すぐさま広い桟橋につゞくので、あたりは空地でも見るやうにひろびろとしてゐる。

 わたくしはいつも此桟橋のはづれまで出て、太い杭に腰をかけ、ぴたぴた寄せて来る上潮の音をきゝながら月を見る......。」 (昭和10年冬稿)

 

   現在の永代橋近辺から観る月(2015年9月28日撮影)

 

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「稲荷橋」は、八丁堀舟入堀の入口、八丁堀(桜川)に架かっていて、八丁堀と湊町(当時)を結んでいた。埋め立てで撤去され、今は橋標だけが残されている。
寛永年間(162443)の創架である。橋名の由来については、現中央区湊1丁目にある鉄砲洲稲荷神社は湊稲荷ともいい、江戸時代には全国から集まる荷物を荷揚げした湊に臨んでいた神社であった。元はこの湊のもっと近くに位置したため、橋名もそれにちなんだものである。震災復興事業では鋼タイドアーチ橋が架設されたが、桜川の埋め立てにともない撤去された。(中央区郷土史同好会)(ものしり百科、137頁)

 

「勝鬨橋」の竣工は昭和15年であるから(ものしり百科129頁)、昭和10年ころは工事中であった。

 

 

茅場町今昔物語

[見たい行きたい伝え隊] 2015年10月 4日 16:00

茅場町8番出口を出ると、某会館の地上に

 

通りに面したその会館のカベには、茅場町今昔MAPがあります。

路地を挟んだ一角には、山王日枝神社(摂社)や、

其角の住まいは「南茅場町の薬師堂近くにあり」で有名な智泉院があります。

其角とは、江戸時代の俳人で、「越後屋にきぬさく音や衣更(ころもがえ)」を代表作の一つとする榎本(のちの宝井)其角のことで、その住居跡(ここで没した)の石碑もあります。

 

さて、冒頭のMAPとは

「なるほど!茅場町今昔MAP」のことです。

  

昔の地図と現在の地図が並べられ、文字通り今と昔を比較したり、関東大震災とその後の変化や、戦後からの復興、そして茅場町の賑わい等々が見られます。

 

これを読み進み終えたら、自動ドアから会館へ一歩入ることにしましょう。

左側のカベには、日本橋茅場町百景の水彩画が展示されていて、見ているだけで癒されます。

 

そしてもう一ヶ所、この百景を展示している場所(銀行)があります!

茅場町の交差点を八丁堀方面に向かって歩き、右側にドラッグストアが見えたら、その隣の銀行です

こちらのロビーにも、支店60周年記念として展示されています。

但し、残念ながら、こちらは銀行なので営業日の営業時間内にしか見ることはできません。

でも近くには、この水彩画のハガキやポチ袋を販売しているところもあるそうです。

(水彩画の種類は、明治時代の第一国立銀行、昭和20年頃の東京証券取引所、日証館などがあります)

 

茅場町も歩いてみると、いろいろな発見がありますので

ぜひ散策してみてくださいねっ