Hanes

点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


こんにちは。ここのところアクティブな活動はお休み中のHanes(ハネス)です。
外出自粛要請が出ていることを考慮し、撮りためておいた写真をもとに、家にいながらにして「へぇ~」と楽しめるような少々マニアックな中央区トリビアを3回にわたってご紹介したいと思います。
今回は、昨年の記事「不思議なマーク「不」を探して三千里」で取り上げた基準点についてもう少し掘り下げてみます。

それは、新川にあった!

これまでに、霊岸島七不思議越前堀跡於岩稲荷田宮神社など新川に関するトピックをブログで取り上げてきました。
しかしこのエリアには、観光で訪れる方があまりいないと言っても過言ではありません。
そんな新川ですが、測量を語る上では非常に重要な場所だということをご存知でしたか?

中央大橋のそばに行ってみると、中央区特派員ブログでもたびたび紹介されている霊岸島検潮所・量水標跡があることに気づきます。
中央区観光検定の公式テキスト「歩いてわかる中央区ものしり百科」にも掲載されていることから、比較的お馴染みなのではないでしょうか。

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


気になる量水標の正体は、河川の水位を目測で測るための設備
日本の近代測量が始まった明治初期、量水標は利根川・隅田川・荒川といった主要河川に設置され、そこで得られた平均水位を元に標高が求められていたのです。
そして、測量技術の進歩により平均水位データの全国統一が行われた際には、なんとここ霊岸島水位観測所が基準として選ばれました。
以前の記事でご紹介した永田町にある日本水準原点の標高は、ここのデータを元に決定されたのです。(関東大震災後にデータ改定あり。)

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


そのような日本水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、東京湾の埋め立てや隅田川の河川水の影響により、今では水準原点検証の役目からは引退しています。

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


それでも、その後も異なる目的のために基礎データの観測を続けています。
現在見られる霊岸島水位観測所は、隅田川テラス護岸施行に伴い、当時より約36m下流に移設されており、元の場所には観測所の歴史的経緯を後世に伝えることを目的にシンボル柱が設置されています。
(右下の目盛りは水位観測所の一部です。)

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


そんな日本の標高の要を求める基準となった場所のすぐそばに、これまた測量上重要なものが人知れず設置されています。
そう、それが一等水準点「交無号」です。

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


この水準点は10年以上前に移設されたものですが、日本の高さの出発点として歴史ある非常に重要なものなのです。
そのような地点があるなんて、新川ってなかなか面白い場所ですね!

こうして測量の歴史を知ると、その他の水準点はどこにどのように設置されているのか気になってきませんか?

気づけば中央区内のあちこちに...

試しに足元を気にして歩いてみたところ、まず目に入ってきたのがこちら。
マンホールのように見えて異なるこの正体は、東京都が都内の地盤変動調査をする際に使用している東京都水準基標
気づかないことが多いのですが、中央区内には20箇所程存在しています。

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


そんな東京都水準基標に紛れ、一等水準点「交無号」の他に3つ国土地理院が管理する水準基標が中央区内にあります。
場所は、築地、日本橋馬喰町(トップの画像)、日本橋浜町。
国が管理しているものは重要な測量の基点としてより厳重に保護されているのかと思いきや、普通に路上にあるので少々驚きます。

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


こちらは築地に設置されたもの。
日本橋馬喰町のものと同じで、日本地図と測量士がデザインされており、建設省国土地理院と刻まれていることから別格なのだと知ることになります。
それと同時に、「建設省」という名称から少なくともどれくらい前に設置されたものなのかを想像することもでき、そこにもまた歴史を感じます。

一方、日本橋浜町にある水準基標は少々異なるデザインで、日本地図が大きく描かれています。
これらは、公共測量の基準、地盤沈下・地震・火山活動による地殻変動の監視、道路・上下水道建設のような公共事業等で使用されています。

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


水準基標は観光するような場所ではありませんが、実際に探してみるとまるで街を舞台に宝探しをしているかのような楽しさが味わえます。
すぐに見つかるものもあれば、何度探しに行っても見つからないものまで実に様々。
中央区内全体にまんべんなく設置されていることもあり、これらを探してまち歩きをするとほぼ区内全体を巡ることができてしまうのです!

 点と点が生み出すロマン~中央区と測量~


今では当たり前のように知られている日本の形や標高も、先人たちの地道な努力によって明らかになったと思うと、この何気ない点一つ一つがいかに重要な役割を果たしてきたのか改めて知ることができます。

八丁堀亀島町には、日本で初めて全国実測をしたうえで日本地図を作成した伊能忠敬が居を構えたことがあります。
そう考えると、中央区は実は測量とは深い関係にある区なのかもしれませんね。
自由に外出できるようになったら、改めて測量に関する史跡やスポットを訪れてみたいと思います。