Hanes

知る人ぞ知る、江戸時代から伝わる霊岸島七不思議


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
特派員になりたての頃、よく知られている「八丁堀七不思議」をご紹介しました。
しかし、中央区内にはもう1つ「七不思議」があることをご存知でしたか?

気になるもう1つの七不思議の舞台はなんと霊岸島
江東区江戸深川資料館の「江戸の町と記録に見る七不思議」によると、これは十方庵大浄敬順の『遊歴雑記』に「霊岸島古来七ッの奇事」として記録されているといいます。

【霊岸島七不思議】
1. 霊岸島には雷が落ちない
2. 霊岸島には南天を植えても実がならない
3. 霊岸島の円覚寺にある薬師は、宵薬師のため縁日の 8日・12日には参詣者がいない
4. 金毘羅様も同様に縁日の10日には参詣者がいない
5. 蕎麦屋だが米屋三左衛門という店がある
6. 糊屋喜兵衛という銭湯がある
7. 花屋七郎右衛門という材木商がある

どれもこれも気になりますが、まずは1つ目の落雷と2つ目の南天にフォーカスしたいと思います。
この2つの不思議は、かつて霊岸島に霊巌寺を開いた応誉霊巌上人に関係しています。
よく言われているのは、南天の実と引き換えに、落雷を避けるようこの上人が神仏に祈願したというエピソード。
南天の実の件は本当なのか、実際に調べたくなりますね^^

前述の霊巌寺は、1657年に発生した明暦の大火で全焼し、深川に移転。
現在は江東区白河にあり、白河藩主だった松平定信の菩提寺であったことから彼のお墓があることでも知られています。

 知る人ぞ知る、江戸時代から伝わる霊岸島七不思議


続いては、3つ目と4つ目の縁日に関する不思議。
そもそも薬師如来の縁日は毎月8日と12日、金毘羅様の縁日は毎月10日とされています。
しかし、円覚寺の薬師如来は毎月7日と11日が縁日と、実際の縁日より1日早かったのです。
8日と12日まで持ち越さないため、明治になって火災に遭い廃寺になったという話も...
また箱崎の金毘羅様でも、1日早く9日を縁日としていました。

ではなぜ1日早かったのか...それはまだ私の中でも不思議のままです。
江戸時代の信仰事情にまで幅を広げ、引き続き調べてみたいと思います。

 知る人ぞ知る、江戸時代から伝わる霊岸島七不思議

中央区(新川)側から撮影した永代橋


最後は5つ目から7つ目ですが、江戸深川資料館の資料では「町屋としての一面が表れている」とされていますが、情報量が少ないがためにまだ納得できる答えにたどり着いていません。

5つ目ですが、当時霊岸島湊町(港町とも)には米屋三左衛門という蕎麦屋さんがあったそうです。
代々蕎麦屋を営んでいるにもかかわらず、店名は米屋...
あくまでも私個人の推測ですが、現代でも店主の名字や家族の名前を店名にする例が少なくないように、店主(?)の米屋三左衛門さんにちなんでこの店名にしたのかもしれません。

6つ目、白銀町にあった糊屋喜兵衛というお風呂屋さんも、7つ目、川口町にあった花屋七郎右衛門という材木屋さんも、店名が人名と思われるもの。
実際のところなぜこのような店名になったのかはわかりませんが、ますます気になる霊岸島七不思議。

おわりに

取り上げてはみたものの、まだ謎に包まれている霊岸島七不思議。
京橋図書館の郷土室だよりでは、「辻番あれども戸が開かず」という霊岸島七不思議の1つが紹介されています。
この七不思議には、時代によっていくつかバリエーションがあるのかもしれません。

そんな上記の不思議は、松平越前守屋敷に関係しています。
郷土室だよりによると、赤穂義士たちが吉良邸から泉岳寺に向かう道中にあったこの屋敷では、幕府から義士通過時の事情徴収をされた際、面倒だったのか「当屋敷には辻番所はない」と答えたため、翌日から戸を開けないようになったというもの。

霊岸島(新川)は中央区の中でもあまり観光で訪れない場所かもしれませんが、七不思議をはじめまだまだ面白そうな言い伝えや歴史が人知れず眠っています。
次回は松平越前守屋敷や越前堀に注目してみたいと思います!