Hanes

【遠足シリーズ第32弾】京都にもあった!銀座の柳


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
感染状況と仕事が落ち着いたタイミングで、関西へ行ってきました。
行き先で銀座の柳に出会えたこともあり、今回は約1年ぶりに中央区外で出会える銀座の柳について取り上げます!

行き先はというと、中学校の修学旅行以来の京都
もはや、当時はどこを観光したのかも覚えていません(笑)
社会人になってからは仕事以外で関西を訪れる機会がなく、今回は十数年ぶりの観光ということで、入念に中央区との関係を下調べ。
その中で、姉小路橋のそばに銀座の柳が植えられているという情報を入手し、朝一で訪問してみました♪

 【遠足シリーズ第32弾】京都にもあった!銀座の柳


こちらがそれらしき柳。
そばの看板には、「区民の誇りの木 シダレヤナギ」と書かれています。

 【遠足シリーズ第32弾】京都にもあった!銀座の柳


この通りに限らず、京都市内には多くの柳が植えられていたこともあり、銀座の柳に関する手がかりがつかめるかいささか不安に思いながらこの通りを散策してみると、こちらの案内板が目につきました。

 【遠足シリーズ第32弾】京都にもあった!銀座の柳


そこには、以下のように記されています。


この柳は、東京銀座から里帰りしたシダレヤナギです。「昔恋しい銀座のヤナギ」と唄われる「東京行進曲」に出てくる東京銀座中央通のヤナギは、道路整備のため、その姿を消しました。しかし、昔を懐かしんだ地元の有志の方々が、その頃の風情をもう一度よみがえらせようと、残されたヤナギから二世を増やし、ヤナギ並木を復活させました。「銀座」という名称は、京都の伏見が発祥の地と言われています。また、この「銀座のヤナギ」の親は、(京都の頂法寺)六角柳とも言われており、京都とは縁の深いものです。「銀座のヤナギ」を復活させた有志の方々から、「京都の文化」を頂いたご恩返しにとご寄付頂き、平成8年6月にヤナギの似合う高瀬川沿いの木屋町通に植樹いたしました。

正面の「銀座のヤナギ二世」が枯死したため、平成25年6月に東京都中央区から松坂屋銀座店の屋上にあった「銀座のヤナギ四世」の譲渡を受け、植樹しました。


簡単にまとめると、今回の訪問で出会った銀座の柳は、松坂屋銀座店の屋上から巣立った銀座の柳四世であること、地名「銀座」が中央区と京都を繋いだということです。
中央区観光検定まで約1ヶ月ということで、ここで銀座の歴史と地名の由来について軽く復習してみましょう!

 【遠足シリーズ第32弾】京都にもあった!銀座の柳


実は「銀座」が正式に地名になったのは明治2年(1869年)のこと!
遡ること慶長6年(1601年)、京都伏見に銀貨の鋳造・取り締まりを司る「銀座役所」がはじめてつくられました。
11年後には、駿府にあった銀座役所が江戸の新両替町(現在の銀座2丁目)に移設され、銀貨の鋳造を開始。
新両替町という町名ではありましたが、当時の人々はその付近を「銀座」と呼ぶようになりました。

また銀座には、京都伏見稲荷大社から勧請した古い神社が多いのも特徴。
銀座八丁神社めぐりのコースに含まれている神社の中では、幸稲荷神社あづま稲荷神社靍護稲荷神社が該当。
調べてみると、銀座は意外と京都との関係が深いのですね!

さて、話を戻しまして、柳の案内板で言及されていた頂法寺の六角柳とはどのようなものなのでしょうか?
銀座の柳の親という説もあるのであれば、「中央区観光特派員としてそれを見ずには帰れない!」ということで、ちょっとだけ寄り道してきました。
頂法寺の境内には、存在感のある立派な柳が植えられており、2本の枝を束ねるようにおみくじが結ばれていました。
どうやら平安時代から縁結びにご利益がある柳として親しまれているようです。

 【遠足シリーズ第32弾】京都にもあった!銀座の柳


ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらのお寺は聖徳太子創建で、いけばな発祥の地でもあります。
また、素焼きの鳩が止まり木のようにおみくじを持っている鳩みくじが有名。
思い返してみれば中学校の修学旅行の際、どうしてもこのおみくじを引きたくて、最終日の集合時間間際にこのおみくじを引きにきた記憶が...
銀座の柳の歴史を追いかけたおかげで、懐かしい思い出がよみがえってきました!

 【遠足シリーズ第32弾】京都にもあった!銀座の柳


案の定境内には鳩がたくさんおり、参拝者の目を楽しませていたのが印象的。
次回の遠足記事では、この「鳩」をキーワードに中央区の歴史を深掘りします!

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