Hanes

徳川家の女性陣にフォーカス!
今改めて注目したい「於満稲荷神社」


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
中央区内には実に数多くの神社やお寺があり、銀座八丁神社めぐりや日本橋七福神に含まれる有名どころは参拝する機会が多いのではないでしょうか。
しかし、そのように普段から脚光を浴びている神社仏閣だけが長い歴史を誇るわけではありません!
人知れず路地裏にひっそりと鎮座するところにも、江戸時代から続く歴史や興味深いいわれがあることもしばしば。
現在放送中の大河ドラマでは徳川家康が主人公ということで、実は彼にも関係のある「於満稲荷神社(おまんいなりじんじゃ)」についてご紹介したいと思います。

この神社があるのは、再開発真っただ中の日本橋3丁目のビルの間。
状況が状況だけにうっかり見過ごしがちではありますが、本神社が面する通りは「養珠院通り(ようじゅいんどおり)」と名付けられており、どこか歴史を感じるネーミング。

 徳川家の女性陣にフォーカス!今改めて注目したい「於満稲荷神社」


そこで気になるのが、通り名にまで採用された「養珠院」とは何なのか?
寺院なのか、はたまたそれ以外の何かなのか... 

 徳川家の女性陣にフォーカス!今改めて注目したい「於満稲荷神社」


その答えは、今回取り上げる「於満稲荷神社」にありました。
工事囲いにはご丁寧に神社の場所を示す看板がついています。

 徳川家の女性陣にフォーカス!今改めて注目したい「於満稲荷神社」


下の写真から分かるように、交替で1人ずつ参拝できるようなこぢんまりとした神社ですが、案内板が興味深い縁起を語ってくれています。

 徳川家の女性陣にフォーカス!今改めて注目したい「於満稲荷神社」


案内板の要点を箇条書きにすると以下の通り。

・この神社の於満は、徳川家康公の奥御前養珠院様於満の方、1580年~1653年)。
※大河ドラマ「どうする家康」第19回に登場したお万は別人。
・彼女は、徳川御三家紀州家の開祖・徳川頼宣公水戸家の開祖・徳川頼房公御生母
・この神社は、明暦の大火後の寛文(1661年~1673年)の記録に登場。
・幕府の休憩所があった場所と言い伝えられる。
・信心深い養珠院様御一行が神仏寄進のため日本橋界隈に物資調達で立ち寄った際に、商業に多大な貢献をする。
・商人たちが養珠院様ゆかりの地として神社を建立。
・約100年後の寛延(1748年~1751年)には、於満稲荷ゆかりの「於満すし」が江戸中の名物となり、界隈が賑わう。
・関東大震災等を乗り越え、この地の商売繁盛五穀豊穣の稲荷神社として信仰され続けている。

 徳川家の女性陣にフォーカス!今改めて注目したい「於満稲荷神社」


境内の奥のフェンスには江戸切絵図と現代の地図が立てかけられており、切絵図の中央には赤い四角と「於満稲荷」の文字が確認できます。
中央区内のザ・観光地からは少し離れた場所に鎮座する神社ですが、東京駅八重洲口からはアクセス良し!
現在放送中の大河ドラマにも通ずるスポットであることから、路地裏にふらっと足を踏み入れ、参拝してみませんか?

 徳川家の女性陣にフォーカス!今改めて注目したい「於満稲荷神社」


※本記事内の情報は、2023年5月28日時点のものです。

あとがき

偶然ではありますが、先日中央区内で野菜の刺繍が施された「玉の輿お守り」の落とし物を見つけました。
「そんな御守りがあるなんて!」と驚く一方、「なぜ玉の輿なのに野菜の刺繍?」と気になったのも事実。
帰宅後すぐに玉の輿の由来を調べてみると、玉の輿の玉が三代将軍徳川家光の側室となった京都の八百屋の娘で、徳川綱吉の生母・桂昌院であると知りました。
八百屋の娘でありながら将軍に見初められたという事実が、現在馴染みのある「玉の輿」に結びつくとは面白いです。

今回ご紹介した於満もそうですが、令和の今にも徳川家の女性陣の影響は意外と残っているものなのですね。
中央区内の史跡や神社仏閣の多くを巡ってきましたが、大河ドラマや前述の偶然の出来事も相まって、於満稲荷神社はとりわけ印象的な神社となりました。

ご紹介スポット情報

於満稲荷神社
住所:東京都中央区日本橋3-3-2