[銀造]
2010年3月23日 09:00
銀座5丁目の「ファンケル銀座スクエア」は、同社の商品の展示、即売だけでなく、1階に無料
休憩所、2階にはギャラリーがあり、セルフサービスでお茶を頂けるリラックス・ゾーンです。
周辺の喫茶店が混雑している時には、お勧めです。トイレも清潔です。
1階、2階の受付の女性は、応対が丁寧で、親切です。
2階のギャラリーにて、 先ずは、セルフサービスで給茶。
そして、女神達の壁画を鑑賞できます。
完全に癒されるゾーンです。
下記は、ファンケル社のHPでの紹介です。
壁画界の第一人者として世界的に活躍する画家、田村能里子画伯の壁画にまつわる展示品をご覧いただけるアートスペース。鮮やかなブルーの色彩、しなやかで健康的な女性の姿・・・・ 2003年4月のファンケル銀座スクエアのオープンに合わせ、約3ヶ月の月日をかけて完成された大壁画「FUN-FUN」を、ソファに座ってゆったりとご鑑賞いただけます。無料の休憩スペースですので、お食事後や会社帰りの待ち合わせスポットとしても、お気軽にお立ち寄りください。
[柳 さつき]
2010年3月18日 12:00
以前、この「中央区観光協会特派員Blog」で、巷に'こっそり'と張られている「力士シール」についてご紹介いたしました(巷で話題の「力士シール」ってご存知ですか?)。
このシール、「いつ、誰が、何のために・・・・」と、とても興味をもたれる方々が多く、それぞれのBlogを読ませていただきますと、ますます興味が出てきます!
その「力士シール」を、再び日本橋界隈で発見しちゃいました
場所は「COREDO日本橋」さんと「たいめいけん」さんの間の通りをまっすぐ、永代通りを渡ってすぐの電信柱です。
「力士シール」について書かれたBlogから判断いたしますと・・・・。
以前の記事に掲載させていただきましたシールより、こちらのシールのほうが古いようです。
その脇にも不思議なシールが張られていました。
「命咲」と・・・・・・・。どのような意味なのでしょうか・・・・・・また、これも「力士シール」となんらかの関係があるのでしょうか・・・・・・・
謎は、いつまでも解けないままなのですが、このシールを見つけますと、なぜだか嬉しくなってしまいます
[坂の上のねこ]
2010年3月16日 09:30
「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、日差しが暖かくなってきました。
あちこちで、線香花火のような寒緋桜が色を競い合っていますし、
ソメイヨシノも開花に向けて大きく深呼吸をしているようです。
見事なしだれ桜が人々を迎えてくれる住吉神社では、この週末から
さくら祭りが開催されます。
新しい生活が始まるこの時期、神社でお花見をして気持ちを引き締めるのもよいですね。
最寄駅は、地下鉄大江戸線・有楽町線の月島駅。6番出口が便利です
(駅を出たところに、街歩きに便利な地図があります)。
住吉神社入り口
さくら祭りのポスターがあちこちに貼られています。
開催期間は3月20日~4月4日
3月21日午後1時からは、佃小橋にて竜小太郎さんのお練りが見られます。
期間中の週末には、甘酒・お汁粉も振舞われますよ。
[ゆりかもめ]
2010年3月15日 09:35
皆様も新聞紙上で御覧になった事だと思いますが「シー・シェパード」のメンバーが日本の調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸」に不法侵入した事件で、東京海上保安部は晴海ふ頭に入港した「第2昭南丸」からピーター・ジェームス・ベスーン容疑者の身柄の引渡しを受けました。
海上保安庁の巡視船「PL66しきね」と巡視船「PL31 いず」が最初に晴海埠頭に到着して「第2昭南丸」を待っています。
容疑者を乗せた第2昭南丸が晴海埠頭に入港して来ました。「PC87すがなみ」「PC23あわなみ」
「PS07あしたか」「高速ゴムボート」等など多数の巡視船艇がその回りに着いて警戒して居ます。
諸々の妨害を排除するための対策のようです。
空はヘリコプター数機がホバリングしたり、ぐるぐると 空を舞っていました。
かなり大きな騒音が 続き異様な感じがしました。
[ww]
2010年3月15日 09:30
永代橋畔の桜が咲いて、本格的な春ももうじきです。
今年もまた、区内に春の訪れを告げるように、永代橋畔の緋寒桜
が咲きました。3月12日(金)現在、満開です。
場所は中央区側永代橋の畔(下流側)。
リバーサイドウォークの立ち寄りにオススメです。
たぶん来週初め頃までは見ごろが続くものと思われます。
すぐ脇にNHK龍馬伝に登場する三菱創始者・岩崎弥太郎が設立
した商船学校の記念碑もあります。 (ww)
(おまけ)
対岸の江東区側にも数本の桜があり、同様に満開です。
[巻渕彰/写楽さい]
2010年3月15日 09:20
江戸期、「鎧の渡し」は日本橋川で唯一の渡し場であったが、伝説に満ちた場所でもある。
ご存知のように『江戸名所図会』には、永承年間(1046-53)源義家が奥州征伐で下総国に渡ろうとしたとき暴風に遭い、鎧一領を海中に投じて竜神に手向け、それを鎮めようと祈願したところ、渡ることができたので「鎧の淵」と伝えられたとか、その義家が奥州征伐から凱陣のとき自らの兜を納めたのが兜塚(兜神社、兜町の由来とされる)とか、また、藤原秀郷が平将門を討ち、その兜を埋めたところとか、いわれている。
伝説の平安時代、この地はどんなところだったのだろうか。日本橋川(平川)の整備やこのあたりの土地造成は江戸初期とされるので、それ以前の中世の地形に思いを馳せる。都内には義家や将門伝説があちらこちらに存在するので、そのひとつといえよう。
文化期(1818-30)ごろにはこんな"願掛け"があったそうだ。「鎧の渡しの真ん中の水に、疱瘡や麻疹、百日咳での願をかけると、叶う」という。どういうことをするのかはわからないが、この水を汲んで御利益を願ったのだろうか。この種の願掛けは、「京橋欄干の真ん中の擬宝珠に縄をかけると頭痛に効く」とか、「高尾稲荷では頭痛に櫛を供える」とか、の伝説が知られている。
区の説明板「鎧の渡し跡」(写真上右)に載っている「縁日に 買うてぞ帰る おもだかも 逆さにうつる 鎧のわたし」の狂歌は、「おもだか」は近くの坂本町植木店(たな)か茅場町薬師の縁日で買った「おもだか=面高=慈姑(クワイ)に似た水草で、葉が矢尻の形をしている」と「おもだか=沢潟=源氏伝来の鎧八領のひとつ」を懸けたもので、伝説を受け、川面に逆に映った葉が沢潟文様に見えたことを詠んだものであろうか。
渡し廃止後の鎧橋は明治5年(1872)創架で蛎殻町方面と茅場町・八丁堀方面が繋がり、付近の商業が栄えた。明治21年(1888)鋼鉄トラスト橋に架け替え、昭和32年(1957)現橋の姿になった。いま、注目の個所が橋台にある。表面仕上げで端正に組み上げられたレンガ積みが見られる(写真下左)。これは「イギリス積み」と呼ばれ、明治期の橋台といわれている。レンガを長手(幅が広い面)の段と小口(幅が狭い面)の段が交互に積まれているのが特徴である。鉄道橋梁や土木構造物によく見られる積み方とされ、フランス積みのあとに普及したそうだ。