「霊岸島検潮所・量水標跡」(中央区新川2-32-1号先)
明治6年(1873)に霊岸島検潮所が設置され、観測開始され、ここの平均潮位を東京湾の平均潮位と定義し(1884年)、標高ゼロの基準として使用した。近くに一等水準点「交無号」を設置し、その後、明治24年、千代田区永田町に創設された「日本水準原点」の標高は、交無号からの測量で決定された。現在では基準となる検潮所は相模湾の油壷検潮所に変わっているが、日本における近代測量技術史上、重要な史跡である。
「日本水準原点」(千代田区)の見学
6月3日は測量の日(測量法が昭和24年6月3日に公布)に関連するイベントの一つ、日本水準原点・一般公開に行ってきました。普段は扉が閉まり中を見ることは出来ませんが、初めて見てきました。大変興味深いイベント・レクチャーでした。
明治初期にはイギリス式の水準点を設置し、不の文字に似た几号(きごう)を不朽物に刻んで、高低の測量を行った。ヨーロッパでは石畳が多く路面に穴を掘って水準点を設けるのではなく壁面に記号を刻み、水平のライン(の溝)に器具をセットして使ったとのお話を伺いました。その後、日本では測量方法が変わり、几号水準点は使われなくなり、以後は災害や戦災あるいは埋没などで、残っている不の文字形の几号は少なくなっているようです。中央区では「一石橋迷子しらせ石標」の下部に水準几号が鮮明に現存しています。(水準点としての役目は終えています)
尚、関連の「日本経緯度原点」は港区に有ります。こちらも重要な原点です。