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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銀座八丁神社めぐり 2018

[銀造] 2018年11月 3日 12:00

 11月1日から3日までの3日間開催の「銀座八丁神社めぐり」、今年も沢山の人が参加して賑やかです。御朱印は12時から押印して頂けます。

今年は、孫の健やかな成長を願って、「宝童稲荷神社」から参拝を始めました。 チンドン屋さんが参道で景気づけをしてくれました。列に並んでいた参拝者も、ニッコリしていました。

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沢山の人に幸せが訪れるようにと、「幸稲荷神社」へ参拝。皆さんもご家族の幸せを御祈願していました。

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銀座稲荷神社は、普段は銀座トレシャスビルの屋上に勧請設置されていますが、この日はご降臨され、私達も参拝出来ました。

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大広朝日ビルの屋上にある朝日稲荷神社は、伝声管を通して参拝した後、路上で御朱印を頂けます。 歌舞伎座前に鎮座されている歌舞伎稲荷神社、日本の伝統をつないでいってほしいと願いました。 あずま稲荷神社は、今年もご近所のお店の方々のご奉仕で、御寶銭を授与して頂きました。

 16時を過ぎると御朱印の押印して頂ける時間が過ぎるので、駆け足になりました。連れの女性二人も走りました。 途中で知り合った、相模原からの女性も走ってついてきました。

資生堂銀座ビルの屋上に鎮座されている「成功稲荷神社」も、この日は「満金龍神成功稲荷」の御神体が降臨されていて、熱心にお詣りしました。今年も、資生堂さんの石鹸、SAVON D'OR を頂きました。贈りものには石鹸、資生堂石鹸ですね

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さて、全ての神社をお参りし、御朱印を頂いたら、本年は東急プラザ銀座1階のエレベーターホール前に設置の記念品引き換え所で、景品を頂きます。景品は無くなり次第終了です。*本年をもちまして、記念品の授与は終了させていただきます。とのメッセージがありました

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本年のお願いが来年には実を結び、皆様がお幸せに過ごせますように、祈願します。 銀造

 

 

小網神社 万福舟乗弁財天大祭 御守りを新調

[銀造] 2018年11月 2日 14:00

 小網神社の「万福舟乗弁財天大祭」が10月29日に開催されました。

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HPによれば、

『当神社の弁財天(市杵島比賣神)は、同じ境内にあった恵心僧都の開基と伝えられる万福寿寺に安置されていた弁財天です。明治初年、神仏分離令の施行後、当神社と寺院は分離しましたが、その後、計らずも寺院は廃絶したため、明治2年(西暦1869年)、当神社に遷座されました。同寺にちなみ、また像がお舟に乗られているため、万福舟乗弁財天と称しております。
  毎年10月28日は万福舟乗弁財天大祭が行われ、多くの参拝者で賑わいます。当日、社頭では、くじを授与し、お供え物などをお授けいたしております(10月28日が土曜日となった場合には27日、日曜日の際は29日に移動します)。』
ということで、今年は10月29日に開催されました。

 小網神社東京銭新井弁財天大祭には、地元の企業が協賛され、くじ引きの結果、その企業の製品を頂くことができます。私は、竹串の先に赤い印があり、食品系企業の製品を頂戴しました。お料理に最適の物だったので、妻から喜ばれました。

 最後に、お参りさせていただくとともに、強運厄除けの御守りも新しい物を授けて貰いました。 これで、来年も元気で過ごせます。

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 小網神社の詳細は、こちらをご覧下さい。

http://www.koamijinja.or.jp/history.html

 

 

馬喰横山駅 名前の由来

[銀造] 2018年11月 1日 14:00

 都営新宿線の馬喰横山駅で下車しました。 駅の中には、躍動的な馬のブロンズ像が飾られています。

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その横には、「駅名由来」が掲示されています。 それによれば、馬喰横山駅

『寛永図によると、 橋本町(現在の日本橋本町)の辺りを横山片町と記してある馬喰町南北は、共に古く横山村の域内であり、その横山片町の北側はすべて寺院であった 。馬喰町の博労師のことは、天正18年の日記に「たかぎと云う馬くろ、ゆいしょ申出る、馬場の地の絵図いたす」とあり、後世まで町名主の家とした馬喰を博労とも当時は書いたが本来は伯楽を本字とした。
伯楽とは、馬医とか、牧人、馬商等を総呼する言葉である。いずれにしても馬に関係する家業の人々が始めた町であった。
 横山町は馬喰町の南側にあり、西側に本町、大伝馬町、東側に両国広小路になっていた。北条の役帳に「五貫三百文、江戸横山分」と記してあり、小さな村名と想われるが、初めは、横山何某の所有地であった。
 このように由緒ある馬喰町、横山町の二つの地名を合せて馬喰横山駅となった。』 

この地には、徳川家康が関ヶ原の戦いの為に、軍馬を集めさせたとか、その後の馬喰町の北側には関東軍代の屋敷ができ、西側には大伝馬町が発展し、馬の必要な土地柄であった事がうかがえます。