前回この辺りを中央区の北の外れと評しましたが、隅田川と神田川に挟まれた地形は岬をも思わせますね。明暦の大火後火除け地が設けられ、バラック仕立ての見世物小屋などが沢山並んで一大盛り場であった、、。と交差点近くに石碑がたっていますが、歴史を感じるとすれば"鳥安"さんや神田川向こうの"亀清楼"さんなどの料亭と"薬研掘不動院"ぐらいでしょうか。却って盛り場的匂いは現在の墨田区両国の方に在りますね。
両国橋の袂から神田川沿いに細い路地を歩いて行きますと柳橋が見えてきます。
橋の袂に由来の碑と関東大震災後の復興の碑が立っています。
川沿いの細い道を歩いて行くと浅草から日本橋へ向かう江戸通りへ突き当ります。
柳橋と浅草橋際に船宿があり沢山の屋形船が神田川に繋がれているのを見ることができます。
船宿では季節のつくだ煮なども買い求めることができます。
この道の反対靖国通りとの間に一本通りがあります。(初音森通りという名前が最近付いたようです) 皆さんあまり足を踏み入れることは無いでしょうが興味をそそられる名前のビルに巡り会えますよ。
1、靴下会館 2、東京装粧会館 3、フジライトカーペット(絨毯館)
また、この通りの出口にある郵便局(両国郵便局と言ってます)の手前に赤い神社の鳥居のあるビルに驚かされます。
この神社は初音森神社と称し1330年ごろの創祠、現在の浅草橋の西側に在ったようですが明暦の大火後墨田区へ移転、昭和48年この地に神殿を建てたとのこと。明暦の大火が書かれている古書
"むさしあぶみ"のプリントでその火事の恐ろしい様子を紹介していました。
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