清洲橋通りを南に歩いて行くと、右側久松町のところに"きくの家"という洒落た和食のお店があります。このお店の通り側壁面に終戦の日の浜町周辺のパネル写真をみることができます。
一面焼け野原で空襲の惨劇がそのまま残されている感じです。
明治座まで歩いて行きますと、前の浜町公園への緑道入り口に小さなお堂が見えます。
"明治観音堂建立の由来" 碑には
本堂は昭和20年3月10日の戦災に依り死没せる幾多の霊の冥福を祈る為建立す
昭和25年12月
発願主 新田新作
とあります。(新田新作氏は明治座再興に尽力された方です)
明治座は空襲時の避難場所にもなっており昭和20年3月10日の東京大空襲の被災時に大勢の方々が亡くなられたそうです。
奥に見える貼り紙は3月10日の明治座で行われる慰霊供養に関するお知らせです。
3月11日は東日本大震災の2周年に当たり、こちら(東京大空襲)は徐々に風化されていくのでしょうか、、。