[之乎者也]
2016年11月26日 16:00
こんにちは!「キハ」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?。。。「ディーゼルカーのことでしょ!」と即答された方。。。ご名答です!
私は「キハ」と聞くと浅田次郎の短編小説『鉄道員(ぽっぽや)(集英社文庫)』を思い出します。
「美寄駅のホームを出ると幌舞行の単線は町並を抜けるまでのしばらくの間、本線と並走する。ガラス張りのリゾート特急が、一両だけのキハ12形気動車をゆっくりと眺め過ごすように追い抜いていく。ダイヤのいたずらか、それとも都会のスキーヤーのために用意された演出なのか、特急の車窓には乗客が鈴なりになって、朱い旧国鉄色の単行ジーゼルを見物している。。。≪中略≫。。。18時35分発のキハ12は、日に三本しか走らぬ幌舞行の最終だ。」
【帯広駅に停車中の根室本線キハ40 滝川行】
「鉄道員」は北海道の廃線寸前のローカル線の駅長佐藤乙松(高倉健)を主人公として展開されるお話です。1999年に映画化されましたが、その際南富良野町にある根室本線の幾寅(いくとら)駅でロケが行われています(注:根室本線は本年8月30日の台風10号の被害で一部不通となり、JR北海道の経営状況もあり、復旧が難しいとも言われています)。映画化を記念して幾寅駅にはキハ40を改造したキハ12の先頭部分が保存されています。
ここでミニ解説ですが、「キハ」とはJRの車両の種類記号です。「キ」はの通りディーゼルカー(気動車)、「ハ」は普通車のことを指し、「キハ」でディーゼルカーの普通車を表すことになります。似たようなものに「モハ」というものがありますが、「モ」はモーターのついている電車車両(電動車)で電車の普通車を指します。「ハ」の代わりに「ロ」や「シ」または「ネ」などが入ることもありますが、「キロ」はディーゼルカーのグリーン車、「シ」が入れば食堂車、「ネ」は寝台車になります。
。。。前置きが長くなりましたがそろそろ本題へ。
今回は少年時代鉄道小僧であった私に、同じく鉄分の濃い友人から「飲みに行こうよ!」と連絡が入ったことから始まります。仕事のあと人形町駅で合流し、出世稲荷のある堀留町の方向へ5分ほど歩きます。すると暗闇の中、駅によくある「のりば」の案内が現れます。
思わずドアを開けて中に入ると「ご乗車ありがとうございます!」と助役(マスター)の声が迎えてくれます。入口の左には黄色の案内板があって、出世通り方面出口、日比谷線、浅草線乗り換え、2番線(実際は2階のことですが)とまるで地下鉄の駅構内のよう。店の奥へ進むと特急電車のビュッフェ車(「キハ」の食堂車だから「キシ」かな?)にあるようなカウンターで先客が数人既にビールと料理を楽しんでいます。カウンターの上にはこの店の食材の缶詰がうず高く積まれていて、助役に注文するとひとつひとつ調理して軽食として出してくれるシステム。先ずは乾杯のビールを飲みながら友人のセレクトのオイルサーディンのチーズ焼きを頂くことになりました。缶詰とバカにするなかれ、結構美味です!。。。そして2杯目は鉄道の旅には欠かせないワンカップ酒です。出てきたのはSL(C57)の絵が描かれている新潟(五泉市)の地酒カップ!友人と「おいしいね」と言いながら飲んでいると、なんと奥にいたお客さんがそのワンカップ酒の製造元(金鵄盃(きんしはい)酒造)http://www.kinshihai.com/index.html)の社長さんとのこと。今日は東京に営業出張で、お酒を卸しているこちらのお店にも挨拶も兼ねて寄られたのだそう。思わぬ出会いに旅気分が盛り上がります!
酔っぱらってもカウンターの上には掴まることのできるつり革があり、2階では電車のロングシートに座って飲むこともできます。立ち飲みなのでちょっとだけ入ってみようということだったのですが、おいしい料理とお酒、そしてお店の楽しい雰囲気に、結局2時間半くらい長居してしまいました。
【お酒・鉄道好きの終着駅『キハ』】
所在地:〒103‐0012 中央区日本橋堀留町1‐6‐11
電話:03‐5651‐5088
営業時間:18:00~23:30(日祝は運休、土曜は不定期運行(営業)のため要事前確認)
[之乎者也]
2016年11月25日 14:00
明け方(11月22日)の大きく長く続く揺れ。。。久しぶりの大きな地震です。幸いながらいままでのところ生死に関わるような直接の大きな人的被害も無いようですが、改めて災害(地震・津波・台風など)の多い国「日本」を認識させられた朝でした。
急速に海外からの観光客が増える日本にとっては、歴史・文化などのコンテンツを紹介することももちろん大切ですが、日本における災害に対する備え、安全というものについても発信し、特に地震や台風などの災害に不慣れなインバウンド観光客の方に対して、日本における安全性についても十分な説明をし、今後も安心して訪問してもらうことも大切です。
地震も治まったようなので、出勤のため家の近くの南高橋を渡っていくと、日本橋クルーズなどの通り道で、普段は開いているはずの亀島川から隅田川への水門が閉まっています。津波に備えたものなのでしょうか?(気象庁から午前7時26分に千葉県内房・伊豆諸島に津波注意報が出されていました)
亀島川水門は亀島川流域を高潮の被害から守る目的で作られた防潮水門です。江戸期以降日比谷入り江を埋め立てて発展してきた東京の下町地域は、昔から多くの高潮、津波。洪水などの被害に遭ってきました。中央区も比較的地盤高の低い地域に立地しており、この例にもれません。
例えば以前書いたブログ記事(/archive/2014/06/post-2075.html)で紹介しました松本清張の短編小説集『無宿人別帳』(文春文庫)に「海嘯(つなみ)」というお話がありますが、こちらでは江戸時代に石川島にあった人足寄場を津波が襲う話が描かれています。その後明治以降も東京東部低地帯の隅田川などの沿岸は洪水、高潮等の水害の常襲地域となり、関東を直撃したキティ台風(昭和24年)などの大きな被害を経て、高潮対策事業が進められるようになります。
特に昭和35年(1960年)の伊勢湾台風により名古屋地域がA.P.+5.02mという高潮(A.P.は「荒川工事基準面」。新川の霊岸島水位観測所の最低水位をもって定められています。上図参照。)による大きな被害を受けたことにより、1960年代から東京都でも本格的に防潮堤、いわゆる「カミソリ堤防」の建設が進められるようになります。亀島川水門もこの時期、昭和44年(1969年)に完成しています。水門の門扉は8.3mあり、防潮壁同様高潮の亀島川への侵入を防ぐことができます。このような対策の結果、昭和54年10月の台風20号来襲時にはキティ台風を上回る高潮(A.P+3.55m)を記録したものの、破堤することもなく周辺住民の生命を守りました。
普段はほとんど目に留めることもない亀島川水門でしたが、今回のように地震や台風などで津波や高潮が発生し河川の水位が上昇したときには、いち早く水門を閉鎖して沿岸への浸水を防ぎ、区民や中央区を訪れる人々の安全を守ってくれていることに感謝の思いを新たにしました。
【亀島川水門】
所在地:〒104-0033 中央区新川2丁目31番22号
[之乎者也]
2016年11月22日 18:00
天気の良い日曜日、隅田川テラスを散歩していくと日本橋川に架かる豊海橋に着きます。
豊海橋はそのデザインと風景の美しさからドラマや映画の撮影によく使われる場所ですが、平岩弓枝さんの小説「御宿かわせみ」では、日本橋川が大川(隅田川)に流れ込む豊海橋のあたりにある、大川端(おおかわばた)の旅籠「かわせみ」を舞台にお話が進められます。なお、江戸時代には永代橋は現在よりもやや上流、日本橋川の北側に架かっていたようで、「かわせみ」の場所もちょうど現在の永代通りの真上あたりの場所(地図上の星印のあたり)にあったのではないかと思われます。
「三日ばかり鋭い寒気が襲ったかと思うと、不意に大川の水もぬるむような日もある初春であった。。。≪中略≫。。。南町奉行所の吟味方与力をつとめている兄の屋敷は、とっくに門のしまっている時刻であった。屋敷を出る時から、心のどこかで、今夜は大川端町のるいの許へ行くつもりがある。神林東吾は仲間と別れると、自然、酔った足をそっちへむけていた。豊海橋の袂から少しはずれて『御宿、かわせみ』と小さな行燈が夜霧の中に浮かんで見える。星も月もみえない、しっとりとした晩である。」
「御宿かわせみ」第一話「初春の客」はこのように始まります。南町奉行所の筆頭与力の弟で剣の腕前から講武所の教授方をつとめる主人公の神林東吾と大川端の旅籠「かわせみ」の主人で、東吾の幼馴染・恋人の庄司るいを中心にドラマは展開します。
「かわせみ」シリーズは、1973年の「小説サンデー毎日」への連載以来、2016年1月の最新作「お伊勢参り」まで295話(文庫で40冊:文春文庫から発売)となっています。「かわせみ」では、江戸の下町を主な舞台として庶民の日常におこるちょっとした事件がショートストーリーで語られており、その魅力は、読者が作中人物と同じ目線で一緒に江戸時代の日本橋、八丁堀、薬研堀、新川、鉄砲洲などの街にタイムスリップできることでしょう。
(写真は「江戸ホテル(築地ホテル館)」:*パブリックドメイン)
小説は、19世紀半ばの江戸時代から明治へと続きますが、主人公も当初の20代半ばから50代半ばとなり、娘の代に世代交代してお話が続けられます。明治編の「新・御宿かわせみ」では舞台として築地居留地が登場するようになり、A六番女学校(女子学院の前身)、江戸ホテル(築地ホテル館:銀座大火で焼失)、イギリス人のバーンズ医師や入船に店を構える清国人の仕立屋の陳鳳など国際色も豊かになっていきます。
昼間の街歩きに疲れたら、秋の夜長「かわせみ」シリーズを読みながらを中央区の江戸時代から明治期までの歴史を楽しんでみるのは如何でしょうか。
[之乎者也]
2016年11月21日 16:00
普段の週末であれば朝早くから区外に出かけることも多いのですが、今日は特に予定も無く天気も良いので久しぶりに区内をぶらぶら歩いてみることにしました。住友ツインビル前バス停から隅田川のスーパー堤防への坂道を上って中央大橋の西詰から永代橋に向かって歩くと新川公園に入ります。普段であれば会社に行く時刻ですが、今日は日曜日ということもありジョギングをする人や犬を散歩させる人がたまに通るくらいです。
新川公園といえば桜の名所。毎年3月末から4月初旬にかけてソメイヨシノが綺麗な花を楽しませてくれます(14年4月7日付ブログ記事「新川公園から中央大橋、佃公園へのお花見散歩」/archive/2014/04/post-1956.html)が、意外や意外、桜の紅葉(もみじ)というのもなかなかなものです。真っ赤に色づいた桜の木と空/隅田川の鮮やかな青色のコントラストが見事です。
もちろん新川公園は並木道になっていますので、春の桜の花同様のんびりと上を眺めながらの花見ならぬ桜もみじを見ながらのお散歩が楽しめます。遠めに桜もみじ全体を見るのも綺麗ですが、真紅に染まった葉っぱの一枚一枚も凛(りん)とした美しさを感じさせます。
桜の花は散るから美しいともいわれますが、桜もみじも青空の中、美しい紅色で我々の目を楽しませてくれたあとは、はらはらと散っていきます。今が見頃の新川公園の桜もみじ、天気の良い日に見に行かれることをお勧めします。
【新川公園】
所在地:〒104‐0033 中央区新川1-31~32