日本銀行は明治15年(1882年)10月10日に永代橋の袂(現在の日本橋箱崎町)に誕生いたしました。
当時は建物が狭かったり、交通の便が悪かったりで建物を移転する事になり
明治29年に現在の日本橋本石町に日本銀行本店が竣工いたしました。
日本橋本石町は大昔、ナウマン象が居て、その化石が出て来たそうです・・大昔ですが本当です。
又、現在の日本銀行の場所は金座があり江戸時代は金を造っていました。
旧館設計者は辰野金吾博士で東京駅のレンガ造り駅舎や旧両国国技館も設計しました。
日本銀行は
「ネオバロック建築」でベルギーの中央銀行を手本にしています。
又、西洋建築では迎賓館と並ぶ二大傑作で現在は国の重要文化財に指定されています。
「街あるきツアー」では「日銀と貨幣博物館コース」があり参加者20名(引率3名)が西門に集合して見学を始めました。
最初はビデオを見せて頂き、概要の説明を受けました。
日銀の旧館は現在は殆ど使われておりませんが、初代から26代総裁の肖像画が飾られてる2階廊下を歩きました。
現在の白川方明(マサアキ)総裁は第40代総裁です。
興味深かった総裁は・・・・・・・
初代 吉原重俊総裁
千円札等、紙幣の裏面に「NIPPONGINKO」と印刷されているのは彼が鹿児島(薩摩)出身である為に「日本」を「にほん」と発音せず「にっぽん」と発音なさっていたのが理由だそうです。
第4代 岩崎弥之助総裁
三菱の創始者岩崎弥太郎の18歳下の弟です。
第7代 高橋是清総裁
達磨の顔にそっくりだったので「だるま総裁」と呼ばれたそうです。
第16代 澁澤敬三総裁
明治から昭和の経済界をリードした渋沢栄一の孫ですが終戦時の日銀総裁であった為に焼け野原に立っての肖像画となっています。
資料展示室
当時使用されていた樫の拍子木がありました。
昭和44年に新館が出きるまで銀行の営業時間の開始と終了は拍子木で知らせていました。
四つ叩けば「は・じ・ま・り」三つ叩けば「お・わ・り」だったようです。
消防活動に際して着ていたハッピ(鹿皮)が飾られていました。
鹿皮は牛皮より軽くて通気性があるそうです。
又、2004年まで使われていた地下金庫を御案内頂きました。
昭和7年に設置されたアメリカ製の大扉は重々しくドッシリとした風格がありました。
壁に小さな穴を開け廊下の床にも穴が空いていました。
乾いた風を壁から取り入れ湿った空気を床下に逃がして湿度の調節をしていたそうです。
金庫内の壁や天井のレンガは明治29年建築当時のままの物です。
壁にある白いシミは関東大震災や消火活動の時や修復時の水のシミのようです。
現在、使用されている紙幣は2・3年で新しい紙幣に日銀で交換しています。
高性能の機械で紙幣を1枚づつチェックして古い紙幣は新しい紙幣と交換しています。
見学当日の御土産は古くなったり傷んで使われなくなった紙幣をシュレッダーにかけた砕片を名刺大のポリ袋に入れた物でした。
そして昔、営業していた頃の部屋の見学・・・・・・
当時は馬で来店の御客様もあり中庭には当時の馬の水飲み場が今でも存在しています。
日本銀行の向かい側にある貨幣博物館は30分程の自由見学となりました。
我国の貨幣史 貨幣略年表を非常に興味深く見学しました。
「江戸時代の1両は今のいくら?」・・・等と興味深いパンフレットも置かれていました。
日本橋で買い物のついでに気楽に見学できる所です。
是非、訪ねて見て下さい。
開館時間 : 9時30分~16時30分(入館は16時まで)
休館日 : 月曜日 祝日(ただし、土日と重なる場合は開館)
年末年始(12月29日~1月4日)
入館料 : 無料
11月19日(金)には同じコースがもう一度あります。
皆様、どうぞ 「日銀と貨幣博物館コース」に御応募下さい。