[サム]
2019年2月17日 20:00
バレンタインデーの2月14日、東京スカイツリーでは、「バレンタイン特別ライティング」が点灯中です。
17:15~18:15は、白一色の、輝くように明滅する交点照明のシンプルな演出。(左画像)
18:15~22:00は、カラフルなチョコの組み合わせをイメージし、元気さやポップさを表現した「ラブリーショコラ」。
22:00~24:00は、定番ライティングのひとつ「幟」を点灯。
「CHOCOLATE CARNIVAL」の他、天望デッキフロア350では「スペシャルDJイベント」などが開催されています。
年間消費額の10数%を占めるとされる当該シーズンのチョコ需要も、「本命」「義理」「友」「逆」に加え。自分用の「俺」「ご褒美」チョコまで種々あるようですが、「ビターチョコ×黒ビール」「柑橘系チョコ×スパークリングワイン」「ガナッシュ×赤ワイン」「ミルクチョコ×にごり酒」などお酒とのマリアージュも乙です。
中央大橋から、アソートメントチョコを彷彿とさせる、彩り豊かなユニークな輝きが望めます。
[クラさん]
2019年2月17日 18:00
<正面> <側面> <上部>
昨年12月に日本橋本町二丁目1番地(武田薬品工業株式会社の入口近辺)の歩道に"薬の記念碑"が設置されました。
「東京薬事協会」事務局にお伺いしたところ、この碑は"日本橋地域の5ロータリークラブと東京薬事協会"により設置され、江戸時代の日本橋に発祥した薬種問屋街の歴史を広く後世に伝えることで、中央区の文化財行政に寄与する目的で中央区に寄贈されたそうです。碑上部のデザインは、江戸時代に刊行された「江戸名所図会」の挿絵(本町 薬種店)を基にしている、とのお話でした。
日本橋本町は江戸時代から薬種問屋が集結し発展してきた地域で、今も多くの薬業関係の企業が集まっています。
<薬祖神社> <くすりミュージアム>
ここ日本橋本町エリアでは、室町二丁目の「福徳の森」に薬の神様である「薬祖神社」が鎮座されており、無病息災などを願ってお参りもできます。また、本町三丁目の第一三共本社ビルA館には入館料無料の「Daiichi Sankyo くすりミュージアム」があります。薬に関する資料などが展示されていると共に、薬の作用などをゲームやクイズで学ぶこともできます。
ご興味のある方は、日本橋界隈散策の際にこの地域に一度足を運んでみては如何でしょうか。
[さとけん]
2019年2月16日 18:00
亀島橋は区内の数多くの橋の中では、やや地味ですが、いくつか見どころがあります。
「堀部安兵衛武庸之碑」その反対側には「銀座柳四世」「芭蕉の句碑」さらに「この地(八丁堀)に移住し功績を伝えられる人物」として「東洲斎写楽」と「伊能忠敬」の説明文があります。句碑の木製の説明版がかすれてほとんど読めないのが残念です。「ものしり百科」にはない見どころもたくさんあり、そういうところを探して歩くのも面白いです。
[サム]
2019年2月14日 18:00
隅田川沿いの新川公園(新川2)隅田川テラス 中央大橋北東袂の植え込みに植栽されている3本の河津桜が数輪開花を迎えています。
カンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種とされ、花色は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノよりも色味が濃いのが特徴。
桜のシーズンの先鞭を切って、通常2月上旬から咲き始め、約1か月後に満開となり、パッと咲いてパッと散る、潔さや儚さの象徴とされるソメイヨシノと違い、満開状態が一定期間持続し、見頃シーズンが長いのも特性のひとつです。
開花時期はその年の天候に大きく左右され、開花予想には苦労が伴うと聞きますが、早咲きのピンクの花色の出現は、春の到来が着実に近づきつつあることを実感させてくれます。
[サム]
2019年2月13日 10:00
関東地方は三連休初日の2月9日、強い寒気と低気圧の影響で、沿岸部や内陸の一部で雪模様となり、都心では午前6時すぎに地面がうっすら白くなり、1cmに満たないわずかな積雪を観測。
都心の積雪は今シーズン初めてです。
朝の最低気温は-0.5℃で、正午でも0.3℃と厳しく冷え込みました。
北風が吹き、昼間も体感的には氷点下の寒さです。
佃公園の樹々もうっすらと薄化粧。
辺り一面、幻想的な雰囲気に包まれつつありますが、池に水鳥が来訪し、水しぶきを上げている様子はさすがに寒々しい印象です。
[さとけん]
2019年2月13日 09:00
毎年、2月11日に新亀島橋のたもとにある「純子稲荷神社」の初午祭が行われます。今日は雪のちらつく大変寒い日でしたが、氏子衆が集まってきていました。神社の名前にしては珍しいので、興味を持っていました。全国の「純子」さんの守り神になるといいと思いました。
以下、「純子稲荷神社」の説明書きです。出典は神社に置いてある「御由緒」からの抜粋です。
御鎮座:元文年(1737年) 御神璽:伏見稲荷大社 御神名:純子大神
御縁起:「純子稲荷神社は、長禄元年(1457年)、太田道灌が千代田城(竹橋北の丸―のちの江戸城)築城の折、守護神として京都伏見稲荷を勧請して城地内・北の丸に創建した"千代田稲荷神社"の縁起をひき継いでおります。
千代田稲荷神社は、天正18年(1590年)徳川家康公の江戸城入城後、江戸城(現皇居)内の紅葉山に遷座され、更に、慶長8年(1603年)の江戸幕府の開府に先立ち、天下普請・城地拡張のため、開府前年の慶長7年(1602年)、家臣 長野又四郎により豊島郡千代田村(現・常盤橋)、後の北町奉行屋敷の土手堤に遷座されました。城外への遷座後も、幕府の鎮守神として、又江戸の安泰を祈願する千代田稲荷神社として格式高い祭祀が行われたと伝えられています。
その後、享保6年(1721年)徳川八代将軍吉宗公のご尊意により、千代田稲荷神社は城下の鎮守と庶民愛護の祭神として日本橋小伝馬町(現小伝馬町2丁目)に遷祀されました。
その後、千代田稲荷神社が城下へ御遷座された慶事に因み、当地の町奉行組屋敷諸士・町衆より現在地(亀島・北島町=現在の茅場町2・3丁目)への稲荷神社建立の勧請が行なわれ、元文2年(1737年)、伏見稲荷の御神璽を祭祀する千代田稲荷の御分霊を御霊神として、純子稲荷神社が当地・亀島河岸(現在の茅場町三丁目十三番地)に創建・鎮座されました。」
御名の由緒:「神社の御名命名は、町奉行のおとりなしにより、当地の細川越中守(兜町二)、松平和泉守(兜町一)、松平越中守(八丁堀)、松平越前守(新川)の司掌職・九鬼式部少輔(藩邸・現兜町・坂本町公園)が、当地が財宝保全の瓶かめ造りの名地でもあったことから、亀島(瓶島かめじま)の町民の請いを入れられ、"純心な精神を子々孫々に伝え遺すにふさわしく"との意をもって、"純子稲荷神社"と命名が行なわれ、爾来、町奉行諸士、与力、同心、町衆の守護神として祀られ、御神徳高い稲荷五柱大明神として崇敬殷賑を極めたと伝えられています。」