中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

【遠足シリーズ第5弾】十返舎一九の生涯をたどって...

[Hanes] 2018年10月 3日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
遠足シリーズ第3、4弾の続きで、今回も静岡で見つけた中央区とのつながりをご紹介します!
 
今回の主役は、徳川家康ではなく、『東海道中膝栗毛』で有名な十返舎一九
どんなつながりがあるかと言いますと、静岡に生家、中央区にお墓があります。
第3弾でご紹介した駿府銀座発祥の地の碑からすぐのところに、
十返舎一九生家跡伝承地を示す案内板が設置されています。

IMG_0497.JPG
 
彼は町奉行同心の長男で、武家生まれだということが分かります。
また、彼の生まれた場所が両替町一丁目であることから、
江戸時代に新両替町と呼ばれていた銀座とのつながりを再確認することができます。
 
IMG_0498.JPG
 
約30歳で江戸に出て、38歳で『東海道中膝栗毛』が大ヒット
それ以来文筆一本で生計を立て、日本初の職業作家と称されたそうです!
武芸にも通じる等、多芸多才だった一九は、67歳にてこの世を去りました。
彼が葬られた浅草東陽院は現在中央区の勝どきに移転しています。
 
IMG_1350.JPG
 
東陽院に向かって右側には、徳川夢声が書いた一九の碑と案内板があります。
屋内墓地にある墓石の左側面には、以下の有名な辞世句が刻まれています。
此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに 灰さようなら
辞世句だというのに、滑稽な物語を書いた一九らしく洒落がきいていますね
 
IMG_1355.JPG
 
中央区観光検定を受験予定の方は、要チェックの一句です!
また、日本橋の耕書堂での一九については、先輩特派員巻渕彰/写楽さいさんの
「◆中央区 ここに歴史あり(64) 十返舎一九生誕250年 ~区内ゆかりの地を訪れる~」をご覧ください。

 

 

江戸城石丁場遺跡「羽柴越中守石場」に登る

[yaz] 2018年10月 1日 18:00

江戸日本橋の小田原町の由来から、江戸城の石垣の石丁場遺跡に続く話を前月報告しました。実際に登ってみなければと考え、伊東市観光協会に連絡してガイドの方々の支援を得て登りました。その奮闘記を記述します。(道なき道、片側谷(注: 当然フェンスなし)の道、ロープを伝って上る道などを上り降りしますので、ガイドなしでの単独登山は非常に危険です)

日時: 2018年6月27日9:00集合

集合場所: 伊東線宇佐美駅

天候: 晴れ、31℃/24℃

予定通りの時刻に出発し、下の地図で示すように石切り場(ナコウ山)コースを通って頂上で「羽柴越中守石場」を見て、石切り場(白波台)コースを下る予定でした。しかし同行者が財布を登りの途中になくす事故があり探索のため同じコースを戻らざるを得ないはめになりました。国史跡を2度(息も絶え絶えでしたが)見る旅となってしまいました。

伊東市宇佐美_石切り場_地図(1).png 

江戸城石垣石丁場跡見学コース.jpg

宇佐美駅を出発した一行は駅脇の石丁場の説明板で全体像をつかんだ後、出発!!!!!!! 洞ノ入地区で発見された石を展示している郷戸(ごうど)公園をまず目指します。

宇佐美駅_石切り場紹介看板.jpg

  

郷戸公園(1).jpg

 

これから目指す「洞の入(どうのいり)」地区には、「石を掘り出す」「石を割る」「石の形を整える」「石に刻印を刻む」「完成した石を集積する」などの一連の工程を示す遺跡が集中しています。上記の築城石は、洞の入地区の砂防ダム付近から見つかったもので、洞の入地区に近い郷戸公園に保管し公開しています。刻印は「折敷(おしき)に三文字」といい、九州臼杵の稲葉家などが大阪城で同じ刻印を使っていることが判っています。

折敷に三文字.jpg

次に中央区立宇佐美学園(静岡県伊東市宇佐美545)に向かいます。以前は宇佐美駅の至近にありましたが、ナコウ山麓に移転しました。この学園前から「江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」に向かいます。(まさか道なき道を続くとは知りませんで、元気いっぱい登り始めました)登り始めて後悔しても後の祭り。徳川家18代当主"徳川恒孝氏が揮毫した「江戸城石丁場遺跡」と書かれた石が左側に見えましたが、注目できません。

ハイキングコース看板.jpg

  

徳川恒孝筆_石狩場碑.jpg

ロープを伝って上る道(崖?)、片側が谷になった細い道(落ちたら大変)などが続きます。このような道を歩くときには余裕がありませんので、写真撮影は不可能です。だんだん脚が上がらなくなります。

次の写真は恐らく当時石を曳いた道と思えます。この「石曳き道」は作業場所と思われる区域の脇を通って、周りの地面から掘り下げられたような形状で続いたようです。道なき道の脇や上方や下方に、写真のような石が転がっています。

石曳き道(ナコウ山).png

 

残った石.jpg

 

大名家の印と思われるもの、何の印か判らないものなど、いろいろの印が刻まれた石が無数に残っています。仕事に従事した石工の印ではないかと思われるものもあります。伊東市教育委員会の調査によれば、これまでに30種類以上が見つかっています。今回登ったナコウ山・洞ノ入で見つかった石の刻印の素性を一覧表にしました。「まんじ」「〇に上」「三つ串団子」「矢筈(やはず)」など面白い刻印がありますね。「折敷(おしき)に三文字」も入っています。

洞ノ入地区刻印(1).jpg

洞ノ入地区刻印(2).jpg

 

石を割った「矢穴」のあとが残る「矢穴石」も無数にあります。土中から掘り出した自然石を江戸城の石垣に使う形にするには専門的な技術が必要です。石の性質を利用して思い通りに割っていきます。

ふうふう言いながら登っていくと、12:00頃にやっと頂上に到着しました。「羽柴越中守(細川忠興)」の石切り場です。昼食と休憩を約1時間。風が強く、頂上で立っていることもできません。(コンビニ・売店もないので弁当持参です)

石を割った跡を残した矢穴石.jpg 石切り場の標石.jpg

 ナコウ山の山頂.jpg     ナコウ山_山頂の地図.jpg    

東京からの同行者が「財布を落とした」と言い始めたので、白波台経由で帰る予定を急遽変更し往路をそのまま戻ることになりました。(こんな山の中に人が入ってくることもないので、財布は無事見つかりました。)

往路で疲れているせいもあって、下山もしんどいものでした。4~5回、転がりながら、江戸城石丁場遺跡前に帰還。記念写真撮影。

写真の後列の左右2名が伊東市観光協会のガイド、杖をついている私は前列。ガイドリーダが疲労困憊の様子を見かねて、杖を貸してくれたおかげでどうにか下山できました。伊東市のガイドの方の余裕のあること!

ヘロヘロの東京グループ.jpg

宇佐美駅到着 14:30 解散

  

【反省後記】

このような登山を伴うガイドに行く時には、次の点に注意すべきと感じました:

1) 一眼レフカメラのような重いものは持っていかないこと。リュックサックでも登るときに負担となる。→ 登り下りに集中しないと危険ですから、大型カメラでの撮影は不能ですから、持っていく意味がありません。

2) ジーパンは汗が出る季節には、脚を上げた時にまとわりつくので不適切。一層、疲労が増します。

 

ブログを見て、「江戸城石垣石丁場跡」登山に興味をお持ちいただければ幸いです。

11月初旬に再挑戦する予定ですが、今回のトライアルの結果を考慮し、軟弱な私も参加出来るよう今回ご報告した登山の半分程度のコースとなります。

 

 

銀座二世の柳との出会い

[にゃんボク] 2018年10月 1日 14:00

去る9月23日に、長野県野沢温泉村から木島平村を経由して飯山市まで駆け抜ける「北信州ハーフマラソン」に参加してきました。下り基調とは言え、これだけ激しい下り坂はド平坦の中央区にいては決して味わえないもの。足ががくがくになるような下りの後に訪れるアップダウンはかなりきつく、ハーフマラソンなのにゴール時の達成感はフルマラソン並みのものを味わえます
*****
 さて、ランニングイベントが終わった後は、「地元のうまいもの食べ続けマラソンりんご」や「観光マラソン」が続くため、気が休まる暇はありません色々と美味しいものや温泉を堪能した後は、以前から気になっていた長野県飯山市の「高橋まゆみ人形館」を訪問してきました。
(こういうおばぁちゃん、いらっしゃいますよね~
Ninngyou.jpg
その道すがら、私の目に飛び込んできたのは、「銀座の柳2世」の文字。
Yanagi-tate.jpgYanagi-kannban.jpg
あれ?なぜここに?
長野県の安曇野と柳の関わりは直ぐに思いついたのですが、飯山市との関係が思い出せずにいました。

そう、「新人特派員のHanes(ハネス)」さんがいみじくも最近書かれていた「全国のいろいろな場所に植えられている」二世柳の一つ、だったのです。
/archive/2018/09/4-10.html

「高橋まゆみ人形館」の近くには別の二世柳の木とその説明文が設置されていました。
betunoyanagi.jpg

曰く
・明治5年の横浜新橋間の鉄道開始に尽力した外国人のエドモンド・モレルさんが客死
・モレルさんの夫人のキノ夫人(日本人)も後を追うように不帰の人に
・銀座二世を育ててきた椎葉一二さん(銀座御門通り会長)と勝又康雄さん(銀座金春通り会長)
 にモレルさんの貢献について話を繋いだのが東工大教授の渡辺貴介さん
・その渡辺さんにキノ夫人について詳しく教えたのが飯山市の古田十一郎先生
といったことが縁で飯山市に西暦2000年の春に銀座二世柳が贈られたとのこと。
hi-hosei.jpg
・・・なかなか複雑に感じたのは私だけでしょうか
なお、東京国道事務所のホームページによると、
・平成6年「明治の鉄道の開設に尽力し、銀座を発展へと導いた横浜市外人墓地内の
 英国人エドモンド・モレル夫妻の墓前に二世・三世柳8本を植樹。 」
・平成11年「長野県飯山市に二世・三世8本寄贈。」と記載されています。
ここに繋がっていたのですね。
マラソン大会への参加から思わぬところで中央区つながりを発見しました。これも一つの楽しみ方ですね
 

 

まだの方はお早めに!築地場内市場「名物」2選

[Hanes] 2018年10月 1日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日のオンラインニュースで、築地場内市場にある吉野家一号店が、10月6日で59年の歴史に幕を下ろすことを知り、
「これは豊洲移転前に一度行かなければ!」(※吉野家も豊洲に移転します)と思い、
朝一で吉野家一号店へ行ってきました

IMG_1388.JPG

■営業は5時から13時まで
吉野家も築地同様朝が早いお店で、一号店は、朝早くから築地で働く人にもうれしい5時からの営業
私は吉野家で食事をするのが初めてなので、他店舗との比較は出来かねますが、
注文は競りのように威勢がよく、牛丼等の提供は非常に手際が良い印象を受けました

Yoshinoya.jpg

常連さんが「アタマの大盛り!」「ねぎだくだくだく!」「ねぎだくちゅうだく!」と慣れたように注文する中、
吉野家初心者の私は店員さんに助けていただき、一番小さいサイズの牛丼を注文!
そして、注文後数秒で出てきたのがこちら

IMG_1385.JPG
(※生姜は自分で添えました。)

朝から力仕事をする築地の皆さんのパワーの源ともいえる牛丼
一号店ならではの壁に設置された箸入れ*から箸を取って食べてみたところ、
(*昔は席が空くのを待たず立って食べる人もおり、そんな人でも箸が取れる工夫)
味とサービスはお店のキャッチコピーの通り、うまい、やすい、はやい
その他、どんぶりの色がお会計と関係している等、一号店のこだわりもたくさん。
ぜひ他店舗との違いを見つけてみてくださいね

■吉野家のルーツは中央区にあった!
今や全国展開のチェーン店となった吉野家...
1899年に日本橋の魚河岸に開業し、関東大震災後魚河岸とともに築地に移転...
実は、中央区にルーツがあるお店なんです
詳しくは、吉野家公式ウェブサイトの「牛丼100年ストーリー」をご覧ください。

区民有形民俗文化財の天水鉢と獅子頭のある波除稲荷神社には、
吉野家の築地での創業に関する碑もあるので、
吉野家一号店にお立ち寄りの際には合わせてチェックしてみてはいかがでしょうか

IMG_1395.JPG

■知る人ぞ知るもう一つの「名物」
築地には数多くの名物がありますが、その中でも特に移転前に一目見ておきたい
築地らしさを十二分に感じさせてくれる「名物」があります。
それが、正門の交番の右隣にある、拾得掲示板

IMG_1779.JPG

市場の正門から入らない場合、なかなかお目にかからないこちらの掲示板には、
落とし主がすぐに見つからなかったものが書き出されています。
先日見に行った際には、さすがに魚の落とし物はありませんでしたが、
冷凍ハンバーグ、めかぶスープ、リーフグリーンと、築地ならではの落とし物が!

IMG_1778.JPG

豊洲移転前に落とし主が無事に見つかりますように...

■「中央区観光検定」対策!?
その他、場内市場で合わせてチェックしておきたいスポットが2つあります!
いずれも「中央区観光検定」の公式テキストに掲載されているので、受験予定の方は要チェック。

1つ目は海軍発祥の地
1872年、老中松平定信の下屋敷「浴恩園」の跡地に海軍省が設置されました。
海軍卿旗が掲揚された園内の築山は旗山と呼ばれ、
今では「旗山」と刻まれた海軍発祥の地を記念した石碑があります。

Tsukiji.jpg

2つ目は、前述の浴恩園跡
1792年にこの地を拝領した松平定信は、
春風池、秋風池、池を囲む築山等を設けた名園を造ったそうです

Tsukiji1.jpg

築地場内市場は美味しいものがいただけるだけでなく、
老中による名園、海軍省と歴史的に見ても非常に興味深い場所です。
朝一で築地に魚を仕入れに来た方曰く、移転を間近に控えた最近では、
通常の3倍の観光客が築地に来ているとのことでした。
市場が職場である方もたくさんいることを忘れず、
残りあとわずかとなった築地の雰囲気をぜひ味わって行ってくださいね