[ゆりかもめ]
2011年5月27日 10:00
暫く日本を離れて居り久し振りに浜離宮を訪ねましたら心地よい初夏の風が吹いていました。
ヤマボウシ カシワバアジサイ 桑の実等・・・・・・多くの花々が私を迎えてくれました。
山法師(ヤマボウシ)
ヤマボウシの名は中央にある円形の小さな花の部分を僧の頭に見せて、花びらのように見える白い総苞片(ソウホウヘン)を頭巾に見立てて名がつけられました。
街路樹等で多く見られる「ハナミズキ」はヤマボウシ」とよく似ているので「アメリカヤマボウシ」とも云われています。
地方によってはヤマボウシが咲き出したら田植えを始める風習が今も残っています。
10月には実が赤く色づき食べられます。
ハナミヅキの実は食べられません。
柏葉紫陽花(カシワバアジサイ) 北米原産
葉が柏の葉に似ているところから名がつきました。
この葉は秋には真っ赤に紅葉します。
花木園に植えられています。
今が見ごろです。
桑の実
八代将軍吉宗は現在の野外卓広場を実用的に使用し実験の場としました。
甘藷を植えたり薬草を植えたり、刀鍛冶を作ったり狼煙を上げたり塩を作ったり・・・・
桑の木を植え蚕を飼って機織小屋で絹の布を作り桐の箱に入れて大切な御客様の御土産にしたりしました。
その時の名残で今も野外卓広場には桑の木があります。
良く熟れた実を一粒、口に入れてみました。
甘くて美味しい・・・・・懐かしい味です。
他にボケの実 梅の実 モミジの実 ヤマブキの実・・・・等 実とつけた木々が幾つかあります。
ユリノキ
ユリノキは明治初頭に渡来し街路樹として多く植えられています。
原産地は北米で木の高さが50m~60m、直径は3mにも達します。
アメリカインディアンは昔、この木をくり抜いてカヌーを作っていたそうです。
花の形がチューリップに似ているので「チューリップツリー」とも呼ばれます。
葉の形が職人の着る「ハンテン」に似ているので「ハンテンボク」とも云われます。
蕾しか撮る事が出来ませんでしたが黄色い大きな花です。
内堀広場に咲いています。
浜離宮恩賜庭園 東京都中央区浜離宮1-1
サービスセンター 03-3541-0200
[ダンディ松]
2011年5月18日 08:30
土曜日の兜町は人通りも絶え、静かな雰囲気を漂わせています。江戸橋から兜町へと向う道すがら、日本橋川を臨む橋の袂には昭和5年に竣工した三菱倉庫がまるで河岸に係留されている大きな船のような姿を現します。
三菱倉庫を廻りこむように東証アローズへと歩を進めると、すぐ左手に現れる小さな社が「兜神社」です。首都高速の柱と橋げたに覆われるように佇むこの社こそ、この地が「兜町」と呼ばれる由来となった伝承が残されているのです。
そもそもの縁起が平将門の兜と言われているのですが、今からおよそ1070年ほど遡る頃の承平の乱で、藤原秀郷が将門の首を京へ運ぶ途中にこの地で将門の首に兜を添えたのですが、その際に兜だけを土中に埋め、そこに塚を造り供養したと伝えられています。そしてこの塚を兜山と呼び、この場所に神社が建ちいつしか岩だけが残ったのが一番古い伝承の話のようです。
その他、1050年代に起こった前九年の役で源義家が奥州征伐へ向かう途中にこの地の岩に兜をかけて戦勝を祈願を祈願したとか、1080年代の後三年の役で奥州から凱旋した源義家が東夷鎮定の祈願のため兜を楓川の辺に埋めてそこに塚を作ったとか、さまざま伝承が残っているのが「兜神社」です。
※楓川はかつて存在した川です。日本橋川の兜町付近で南へ分流し、これもかつての京橋川と桜川の合流地点に至る約1.2キロの運河だったのですが、昭和35年に始まった埋め立てでその姿は消滅してしまいました。
兜神社を後に、証券取引所(東証アローズ)の西側にある見学者受付の前を過ぎると、その角にいかにも昭和初期のレトロ感漂わせる建物が目に入ってきます。兜町のド真ん中、周囲の高層のビルの谷間に人知れず佇んでいるといった表現がぴったりの古き時代を思い起こさせるような建物なのです。
実はこの建物は現在もきちんと営業をしている「山二証券」で、見る方向によって3階建て、又は2階建てに見える趣ある建造物です。竣工時期は昭和11年ということですから75年前の歴史的建造物なのです。1階部分はおそらく御影石を積み重ね、2階、3階部分の外壁は煉瓦造りという凝った意匠。3階部分の丸窓はまるでバラ窓のようで教会のステンドグラスを思わせ、建物全体を覆う屋根瓦は適度な傾斜をもち見事なバランスを描きだしています。一瞬、ヨーロッパの旧市街の一角に迷い込んだような空間を愉しめます。
そしてこの山二証券の隣にもう一つ同じようにレトロ感を漂わす建物
があります。この建物も証券会社さんで、ちょっと前までは「成瀬証券」の看板が掲げられていました。建物全体は御影石を積み重ねた重厚感のあるどっしりとした造りが特徴です。竣工時期は昭和10年ですからこれも75年の歴史を刻んでいます。
現在はシンガポールの財閥系証券会社「フィリップ証券」と商号を変えています。正面ファサードは左右対称を基調にしたもので、いたってシンプルなデザインの中に直線の美しさと力強さを感じます。正面入口にはこれまたレトロ感を漂わす外灯が備わって、ファサードにアクセントを付けています。たまたま社員の方がいたのでお話を伺った
のですが、床は大理石ですかと聞いたところ、以前は木製の床だったのですが、コンピューターの普及によりランケーブルの配線を隠すため床を上げ、現代風の絨毯張りに変わったとのことです。それでも裏手の入口から中を覗くと、床は細かいタイルが敷き詰められ、木製の柱や上階へとつづく階段には70年以上の歴史を刻み込んだ「いぶし銀」の輝きを感じることができました。
古い建物が取り壊されモダンな姿に変わる大都会の中で、昭和初期の建造物がいまだ健在であることに感動を覚えると同時に、古いアルバムを見ているような懐かしさを感じた瞬間でした。