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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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こいつぁ便利だ!!

[佐平次] 2014年9月16日 14:00

 中央区観光の出発点という視点で、今回は中央区番外編として、千代田区でありますが東京駅を

記事にさせていただきました。

 

  観光や商用で東京を訪れる人たちの多くは東京駅を利用する。
ところで東京駅に到着してから観光にせよ商用にせよ宿泊を伴う場合邪魔になるのが大きな荷物だ。
また帰りにお土産など買う場合も大きな荷物は邪魔になる。

そこで、コインロッカーを探して荷物を預けて・・・と思うのだが、コインロッカーは其処ら中にあるのにほとんど使用中で空きのロッカーを見つけるのは本当に困難である。

 

  コインロッカー2.JPG

 

前もってホテルに荷物を送っておけばヨイのだが交通渋滞やら天候不順やら到着に不安があるし送るタイミングも難しくてつい手荷物で持ってきてしまう。

そこで便利なのが日本橋口近くにある佐川急便の手荷物一時預かりだ。
http://www2.sagawa-exp.co.jp/newsrelease/detail/2014/0311_890.html
  一時預かりの料金は大型のコインロッカーの700円に対して800円と100円高いが、これは近隣のコインロッカーの業者との間での申し合わせらしい(独占禁止法違反??)

  だから、もしホテルを予約してある場合であったらホテルへの託送サービスを利用するのがお得である。
通常の料金で都内の全てのホテル(ビジネスホテルも含む)とディズニーリゾートのホテルに託送してくれる。
荷物を取りに戻ることもなくバック一つで日本橋や銀座に歩いていけるのだ。
受け付けは一応午前11時までとなっているが、ホテルが近場だったり、荷物の到着が少し遅れるとかを承知してくれる場合は夕方でも受け付けるのは可能とのことです。
帰りはホテルから荷物を送り、此処で荷物をピックアップすればそのまま新幹線に乗り込める。

 

  店舗1.JPG

 店舗2.JPG

 看板2.JPG

 スタッフ2.JPG

 

  日本橋口はメインの八重洲口と比べるとタクシー乗り場が無いせいか人通りがとても少なく修学旅行など、団体の待ち合わせ場所に使われることが多い。
空いていて通路も広いので日本橋方面に向かう場合は八重洲口から外堀通りを通るよりも早くて快適だ。(特に雨天の場合は)

  一般的にガイ ドブックやネットなどでの乗換案内だと東京駅から地下鉄に乗り換えるのに乗継駅は大手町駅が表示されている。 しかし、新幹線などで東京駅に到着した場合地下鉄「東西線」「銀座線」に乗るには「日本橋駅」の方がはるかに近く(日本橋口から3分ほど)て大手町駅に行くよりも10分以上早い。

   因みに銀座線から半蔵門線への乗継駅は「三越前」となっているが「日本橋」で一度外に出て半蔵門線の「三越前」に行く方が早い。 料金が2度掛かってしまうので一日乗車券などを利用する場合以外はお勧めはしないが・・・。
特に東西線から乗り換える場合は日本橋で一度銀座線に乗り換え、再度三越前で乗り換えなくてはならないため20分以上のロスとなってしまう。(何とか考えて欲しいぜ!営団さん)

 
   まあ、こんなに便利な東京駅「日本橋口」ではあるが、まだまだ認知度が低く、この佐川急便の店舗も3月10日にオープンしてから半年たつのに客足の伸びは今一つのようである。

店舗の外観と内装は京都祇園で好評の「祇園佐川急便 」(サービスセンター)をモデルにして、スタッフの制服も「飛」の文字をあしらったシャツに法被という出で立ちで、観光に訪れる利用者の目を楽しませる趣向を凝らしている。
また外国人観光客のため英語、中国語、韓国語などに対応している(時間帯や日時によって対応不可の場合あり)

成田空港や羽田空港にも託送できるが空港で受け取る場合はJALのカウンターを使うため取扱手数料がかかる。(逆は通常料金のみ)

 

  いっそのこと、この店舗でホテルの案内と予約ができて、その場合には託送料金が無料になったり割引になったりすればもっと便利で利用者も増えると思うのだが...。

 

 

 

第33代中央区観光大使・ミス中央本選会 拝見報告 

[銀造] 2014年9月16日 09:00

 2014年9月13日(土)、日本橋三越本店にて、第33回中央区観光大使・ミス中央選考 本選会が開催されました。

檀上に皆さんお揃いになりました。 流石に、予選会を勝ち抜いてきた美女、淑女です。

「いずれ菖蒲か 杜若」,「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」

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参加者の皆さんは、現役大学生、有名専門店、百貨店、商社などにご勤務の才媛揃いです。

ご趣味もお茶、お花に限らず、スポーツインストラクターとか元気な方々が出場されていました。

ご出身も中央区に限らず、国際的で、台北出身で中央区在住とか、大阪出身、福島県出身とか地方色も豊かですが

現在在住の方、生まれついての中央区というかたも、地元を愛する気持ちが強く伝わってきました。

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勝ち残った3名のお嬢様方の、第33代中央区観光大使・ミス中央の誕生です。Congratulations ! Para bems !

第33代中央区観光大使・ミス中央のお名前は、中央区観光協会のHPでご確認下さい。

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今後 一年間のご健勝とご活躍を祈念しております。

(日焼けしないように予防して下さいね。

PS.今回は、第28代中央区観光大使・ミス中央を務められた澤田知美さんが審査員としていらっしゃいました。

  私は2009年9月に、澤田知美さん、三上真奈さん、高城あずささんが第28代中央区観光大使・ミス中央に選ばれた時からのファンです。

  元観光大使・ミス中央の方々のご活躍をも祈念しています。 銀造

 

 

 

「伊能忠敬 居住200年中央区まつり」 、「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」 見学報告

[銀造] 2014年9月13日 14:00

 8月28日から31日まで、「伊能忠敬 居住200年中央区まつり実行委員会」主催の催しがありました。

「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」です。 中央区立総合スポーツセンターの2階会場を一杯に使っての大展示でした。

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伊能忠敬さんは、1745年、九十九里浜のほぼ中央の小関村に、小関貞恒、ミネの子として、三人兄弟の末っ子として生まれました。その後、母親との死別で、入り婿だった父親は忠敬(幼名、三治郎)の兄、姉だけを連れて、実家に戻ります。

忠敬が10歳の時に父親、神保貞恒が迎えに来て、17歳まで父親の元で暮らします。この時、佐原の酒造家、伊能三郎右衛門家では当主がなくなり、未亡人が婿を求めていたのを、神保家、伊能両家の親戚である平山家のあっせんで婿入りします。

その後、伊能家で商才を発揮し、49歳まで家業の酒造業を盛り立てました。 49歳で隠居し、家督を息子・景敬に譲り、江戸に出て天文・暦学を志し、19歳年下の幕府天文方・高橋至時に入門します。

 資力があったとはいえ、チャレンジ精神旺盛な伊能忠敬がここから本領発揮です。

深川八幡宮近くの黒江町に住み、浅草の蔵前にあった暦局の高橋至時のもとに通学し、自宅にも観測所を設けて熱心に観測したとのことです。

暦学者の間で、地球の大きさが話題になっていると、浅草と黒江町の緯度の差が1分半ということを知っていたので、「それでは、私が両地点間の距離を測って、緯度一分の距離を決めてやろう」と思い立ちますが、師匠の至時から、「浅草と深川の距離を測って、地球の大きさを決めるのは、ちと乱暴ではないか」といわれ、それではと、日本全国を行脚し、日本地図を作成するのを思い立ったのではないかと言われています。

 

 55歳になって、緯度一度の長さを測ることを目的とする蝦夷地測量に踏み出します。寛政十二年四月十九日、深川八幡宮に参詣し、千住宿を経由して蝦夷地へ向けて旅立ちました。

第二次測量は、伊豆から本州東岸を測りました。 この第一次、第二次測量の実績が認められ、次の第三次測量からは、幕府から旅行のための人馬を無賃で利用できるお触れが出され、数量も大幅に増やされて、村村からは格段に手厚い援助が得られる様になりました。 第三次測量は羽越地方、第四次測量は東海、北陸の沿岸を測量し、東日本全図の制作を目指しました。

 下記する参考文献から、このとき使用した測量機器は、「中象限儀」というものであったことが紹介されています。会場では、その他の測量器具も展示されていました。 

 

第一次から第四次までの四回の測量結果は、「日本東半部沿海地図」としてまとめられ、幕閣で好評を博し、第11代将軍徳川家斉の上覧を受けています。

第四次測量ルート図によると、この時は東海道を沼津まで再測し、沼津で伊豆半島の測量線に接続させて東海道沿いの沿岸測量を始め、江尻、三保松原、御前崎、渥美半島、知多半島と進み、熱田から名古屋城下に入って、岐阜、大垣、関ヶ原、木之元を抜け、敦賀から日本海を北上して福井、石川、今浜、能登半島を一周し、七尾、親不知、糸魚川、出雲埼、佐渡島に渡った後、寺泊、長岡、三国峠、高崎、熊谷、江戸へと帰還しています。この時、1803年10月7日ですから、58歳でした。

 その後、西日本測量の命令を受けて、第5次、第6次測量が続きました。第5次では、街並みの整った京都も測量しています。

 現代の時刻表に使われている地図と大差ないように感じます。

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第6次では、厳島の測量も手掛けています。

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 このイベントでご紹介頂いた全てをこの小さなブログでは表現できないのが残念です。

「伊能忠敬」大先生の旺盛な好奇心、チャレンジ精神を見習って、これからの人生を楽しく生きなければと思いました。

主催者、ご協力の皆様方に深い敬意を表します。 有難うございました。

 

参考文献:「伊能忠敬の全国測量」編集者:渡辺一郎様、発行者:伊能忠敬研究会、制作、問い合わせ先:日本写真印刷株式会社、電話:075-823-5151

追伸:伊能忠敬さんが、お住まいになったのは、現在の中央区で言えば、亀島橋あたりです。そこには、案内の掲示板があります。中央区の街歩きもお楽しみください。

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