ご存知のとおり、中央区には江戸期3伝馬町がありました。大伝馬町、南伝馬町、小伝馬町です。
(以下記述の詳細は後述の報告書をお読みのうえ、ご自身でご確認ください。ここでは必要骨子だけ載せます)
御曲輪内(江戸城域内)に起立したのち、宝田村(呉服橋辺)が大伝馬町と南伝馬町に、千代田村(常盤橋辺)が小伝馬町になったそうです。
やがて、大伝馬町と小伝馬町は現在地とほぼ同じ場所(*旧大伝馬町1丁目は現在日本橋本町です)に移転しました。南伝馬町は現在の京橋1~2丁目辺に存在していました。
大伝馬町と南伝馬町は両伝馬町と称され、道中御伝馬役を担ったが、小伝馬町は江戸内の御用を務めていて、両者の役割は異なっていた、とのことです。
この大伝馬町の道中御伝馬役であるとともに名主であったのが馬込勘解由(まごめ・かげゆ)です。
馬込勘解由に関する調査報告書『大伝馬町名主の馬込勘解由』が2009年3月、江戸東京博物館から刊行されました。同館所蔵の「馬込家文書」をもとに、由緒・来歴から道中御伝馬役、名主役、そして金融にもかかわっていた事績などが解説されています。同書のなかには、京橋図書館所蔵の沽券絵図資料も編纂されています。
また、この地に縁の深い佐久間善八家「お竹大日如来」伝説の錦絵なども掲載されています。(写真は於竹大日如来井戸跡)
これまで勘解由に関するまとまった資料が少なかっただけに、同書は中央区にとって、町の歴史を知り、役職・人物などを理解するにはありがたい一冊です。同館のミュージアムショップで買い求めました。頒価1100円。
■江戸東京博物館調査報告書 第21集『大伝馬町名主の馬込勘解由』、同館都市歴史研究室編集、2009/3/31発行、A4判、本文166頁。