このトンネルは昭和55年(1980)に建築され、その後、隅田川護岸整備にあわせスーパー堤防化のために、平成11年(1999)11月に改築されたもの。
長さは234m、新大橋側から両国橋方面に向かう一方通行1車線の区道で、首都高速道路や隅田川と並行している。自動車のみ通行できるが、人や自転車は通れない。トンネルの上は浜町公園。
かつて一帯は武家地で、文久期の絵図に細川越中守(熊本藩)、水野出羽守(沼津藩)、津軽越中守(弘前藩)、牧野越中守(笠間藩)などの中・下屋敷が記載されている。
明治維新後も大半は華族が所有し、しかも所有面積は大規模であった。なかでも広大な細川邸が知られている。
「川縁からちょいとひっこんだ、河岸から清正公様へぬける途中、水門を前に玄関傍の長四畳からは、筏も、白帆も、風が吹いて波が立てば、沖の鴎がはすかいになって飛び交うのがよく見える、細川家の家中の人の世話で初めて日本橋区の住人となったのであった」(1)、
と当時の浜町の情景を著している。
関東大震災後の区画整理で、浜町公園は昭和4年(1929)7月設置開園した。隅田公園、錦糸公園とともに震災復興事業3大公園のひとつである。
(1)鏑木清方著『随筆集 明治の東京』所収「浜町にいたころ」、岩波文庫、2009/7第8刷、岩波書店発行
*鏑木清方(明治11年(1878)8月31日-昭和47年(1972)3月2日)は、築地、木挽町で幼少期を過ごし、鉄砲洲〔南八丁堀〕の私立鈴木学校へ通う。一時、湯島に移った後、再び南伝馬町、木挽町、浜町と転居して、
■これまでの「中央区 ここに歴史あり」
第1回 「今もある、霊岸島」 こちら>>
第2回 「交差点に残る、今なき橋」 こちら>>
第3回 「区内で一番高いところ」 こちら>>
第4回 「日本橋の隠れた銘板」 こちら>>
第5回 「江戸の町地は中央区の広さ!?」 こちら>>
第6回 「旧新大橋の橋名板」 こちら>>