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◆中央区 ここに歴史あり<4>~日本橋の隠れた銘板~

[巻渕彰/写楽さい] 2009年7月 3日 09:00

皆さんご存知の「日本橋」は国指定重要文化財で、2011年には現石橋架橋100年を迎える。ここに隠れた歴史が刻まれている。漢字やかなで書かれた「橋名板」は誰でも目にされるだろうが、橋にまつわる記録を残したのが「銘板」だ。


日本橋にはこの銘板が南詰東側と北詰東側の2ヵ所にある。設置場所が橋柱脇の裏側で、川に面した場所だけに高欄(欄干)越しに身を乗り出さないと覗けない。しかも板面がくすんでいるので、文字は読み取りにくい。


impactまず、南詰東側からみていこう。こちらの銘板は現橋改架期のもの。原文は漢文体であるが、適宜読点を付した。


090620_nihonbashi_tumaki.jpg本橋以明治四十一年十二月十五日起工、四十四年三月二十八日成竣、技師工学士米元晋一専當設計監工之任、技手荒井春吉大崎貞一佐藤正太郎清水庄次郎坂口安彦杉山源次郎輔佐之、橋上装飾出自顧問技師工学博士妻木頼黄之心裁様式其他承同氏賛助者亦不尠、橋名乃公爵徳川慶喜所書也、當時技師長即工学博士日下部辨二郎也、橋梁課長即技師工学士樺島正義也


工期は2年4ヵ月ほどだったと分かる、ちなみに開通式は明治44年(1911)4月3日に行われた。つづいて工事に携わった人々が書かれている。建築家・妻木頼黄(つまき・よりなか)は想像上の麒麟と獅子の東洋的なモチーフ、一里塚を表す松や榎(エノキ)をデザインした、といわれている(写真上)。橋名揮毫は江戸幕府最後の15代将軍だった徳川慶喜と記された。当時の技術者が橋を完成させ、その名を残したことを、銘板は如実に語っている。


impact反対側の北詰東側の銘板(写真下)は、関東大震災復旧工事を記述したものである。


090611 nihonbashi01.JPG日本橋復旧工事来歴
本橋ハ大正十二年(1923)九月一日ノ大震火災ニ因リ照明装置、高欄及敷石等ノ毀缺尠カラサルニ付昭和三年(1928)二月之カ復旧工事ニ着手シ、同年十二月其ノ工ヲ竣ル。此ノ工費総額金■(五? はっきり読み取れないが)萬餘圓ヲ要セリ。
  東京市


日本橋はその後も戦災で損傷・欠失・変形など甚大な被害を受けた。さらに経年劣化による破損・腐食などが進んだことで、復元・修復・補強対策が施されている。そして、たゆまぬ維持保全や清掃活動があってこそ、 中央区を代表する歴史的文化遺産として、1世紀にわたる今日の姿がある。


■これまでの「中央区 ここに歴史あり」
第1回 「今もある、霊岸島」 こちら>>
第2回 「交差点に残る、今なき橋」 こちら>>
第3回 「区内で一番高いところ」 こちら>>