中央区沿革図集・日本橋篇所載の明治6(1874)年沽券図をもとに当時の土地所有状況をまとめてみれば次の通りです。
なお、沽券は土地売渡証文のことで、沽券図には土地の区画毎に地主名、面積、沽券高(土地価格)が明記されています。
(地 番)(区画数) (地主数) (面積・坪) (構成比・%) (沽券高・円) (単価/坪・円)
箱崎町1-1 1 1 945 3.1 6,500 6.88
同 2-1~17 17 13 1,879 6.1 4,602 2.45
同 2-18 1 1 2,835 9.2 981 0.35
同 3-1 1 1 8,085 26.2 ー ー
同 4-1 1 1 13,433 43.5 4,649 0.35
箱崎町小計 21 17 27,177 88.1 16,732 0.62
北新堀町1-21 21 14 3,673 11.9 19,100 5.20
総計 42 31 30,850 100.0 35,832 1.16
旧武家地合計 3 3 24,353 78.9 5,630 0.23
町地合計 39 28 6,497 21.1 30,302 1.16
(注)1.箱崎町1-1 :三井八右衛門所有
2.箱崎町2-18:旧関宿藩主・久世氏邸
3.箱崎町3-1 :開拓使貸付会所(官有地)旧土井大炊・松平伊豆邸
4.箱崎町4-1 :旧土佐藩主・山内邸
大名藩邸公収の翌年の時点、このデータは江戸期の地域実態をそのまま反映していると見ていいでしょう。
武家地と町地の比率はほぼ80対20,江戸市街地の平均的な割合は武家地75に対し、寺社地・町地それぞれ15とされていますので、構成比はほぼ平均並みといえるでしょう。
箱崎町2-1~17の1区画当たり平均面積は111坪に対し、北新堀町は同175坪、規模格差は1.58倍に達します