江戸時代、永代橋架橋後の歴史で1大エポックはなんといっても、文化4年(1807)8月19日、深川八幡宮祭礼での永代橋落橋事件だろう。1,500人以上の犠牲者が出たそうでだ。
その後、深川寺町*海福寺(明治43年に目黒へ移転)などに供養塔、慰霊碑が建てられた。ここ中央区湊2-16-16にも永代橋落橋の犠牲者の供養の為、汐見地蔵尊がひっそりと建てられている。但し、こちらは歯痛治癒にも霊験あらたかだそうだ。
脇の小公園を抜けて隅田川テラスにでてみると、隅田川の向こうは佃*石川島灯台。視線を上流に向けると中央大橋の背後は永代橋に深川だ。
そういえば、今月13日から深川富岡八幡宮の例祭だ。16日には神幸祭(二ノ宮神輿渡御)、1屯半の大神輿が中央区新川までやってくるぞ。
No 09015 ドームくん