今回は中央区の東端、両国橋から新大橋へ向かって歩いてみます。
まず両国橋からの隅田川テラスです。
四季の花が植えられ、きれいに整備されています。
ウオーキングやジョギングには最適の場所です。
明暦の大火後に架橋された第1号両国橋は現在より下流寄りだったようです。
8代将軍(吉宗)時代からの花火もこの辺りがメイン会場だったようです。
涼み舟や花火遊びでさぞかし賑わっていたことでしょう。
橋際には将軍が船に御乗りになる乗船場もあったとのこと。
将軍が御成りになるとなると河岸の火除け地(広小路)の小屋は全部きれいに撤去したとのこと。
空き地活用に目をつぶったお上も、建前は火除け地に小屋などとんでもないということでしょう。
上の写真が現在の浜町河岸通りです。
この一帯が両国広小路としてかつては賑わった場所ですが喧噪の面影はありません。
通りを歩いて行きますと右手に御幸通りが見えます。
合鴨鍋の老舗鳥安の向かいに日本橋中学があります。
この日本橋中学の辺りが隅田川に繫がる薬研堀があった所だと言われます。
近くのお不動さんにも薬研堀と頭についています。
また御幸通りの名は昭和天皇が昭和5年、関東大震災後の震災復興視察の際この学校(前の千代田尋常小学校)に立ち寄られたことによります。校内に立派な天皇御臨幸記念碑があります。
浜町河岸通りに戻りアイリスボタン博物館を過ぎると浜町公園脇のトンネルが見えてきます。
上の土手通りを行き公園を過ぎ新大橋の橋際に来ますと大きな石碑が立っています。
関東大震災の時この橋だけは燃えず大勢の人を助けた、お助け橋(先代の新大橋) の由来 が記されています。