「京橋」は日本橋と並び東海道の重要な橋だったが、撤去されて今はもうなくなった。現在、「京橋の親柱」は中央区民文化財として橋詰に残されているので、その面影に懐かしさを感じることがある。ところが、ここ以外にも京橋の遺構が存在しているのだった。こんなところに「京橋」があるのを、ご存じだろうか。
まずは、日比谷公園の中にある。「京橋」の欄干柱で橋名はないが、擬宝珠がついているのでそれとすぐわかる。明治8年(1875)架橋のものであるから、石橋なのだ。左右に欄干をつないだ溝穴があいている(写真上)。日比谷公園内にはほかにも歴史を伝える遺物などがいくつかあるので、探し歩くのも楽しい。
現在、本家の京橋跡には、この明治期改架の橋名が刻された親柱が2基残っている。漢字表記のものは警察博物館前の北詰東側に、仮名表記のものが銀座一丁目交番脇の南詰西側にある。
つぎは新宿御苑「新宿門」の脇、すでに閉館となった旧「みちの情報館」の跡地内である。こちらは大正11年(1922)建造のもので、照明設備がある「京橋」の親柱である(写真下)。敷地内に入ることができないので外側から眺めるしかないが、「京橋」「きょうばし」の橋名もはっきり読み取れる。
京橋跡には、これと同じ大正期の親柱が南詰東側に残されているが、上部に照明を設けるなど、近代的なデザインである。反対側の南詰西側に建つ銀座一丁目交番はこの大正期の親柱デザインを模して対称的に造られ、さらに、銀座煉瓦街をイメージしたものである、というのはよく知られている。
新宿の「みちの情報館」跡地には「新橋」の親柱も残っている。現在、銀座八丁目先の港区側にあるものと同じ親柱である。さらに、日本橋の道路元標プレートの複製もある。