明和8年(1771年)3月、千住小塚原の刑場で、罪人の腑分け(解剖)
に立ち会った前野良沢、杉田玄白、中川淳庵の3人は驚きの念を隠しきれ
ませんでした。
腑分けされた死体の組成が、持参した『ターヘル・アナトミア』
の記述とおりだったからです。
翌日、鉄砲州にある豊前中津藩中屋敷内の前野良沢邸に参集した3人
はこの蘭書を翻訳することを決意します。
多くの同士の協力を得て3年余りの歳月を費やし安永3年(1774年)、
『解体新書』として訳出、完成させました。
公刊に当たっての著作者は越前小浜藩医師・杉田玄白、同・中川淳庵、
一橋家侍医・石川玄常、幕府侍医・桂川甫周の4人でした。彼等の盟主で
あり訳出の主力であった前野良沢の名がありません。一説には不完全な
翻訳の故に、前野良沢は公開することを快しとせず名を連ねることを固辞
した為といわれています。
桂川甫周の父・法眼・3代甫三国訓は杉田玄白とは旧知の仲であり、
また奥医師としての政治的な立場を介して『解体新書』発禁に対する配慮
を策したと思われます。桂川家は初代・甫筑邦教、2代・甫筑邦華を経て
既に侍医として公家そして奥向きにも大きな信頼を勝ち得ていました。
『解体新書』出版に際し、オランダ通詞・吉雄幸左衛門耕牛が序文を寄せ、
秋田蘭画の開拓者・小野田直武が解剖図を描きました。
『蘭学事始』は杉田玄白が83歳の時、約半世紀に亘る蘭学界の概況、
『ターヘル・アナトミア』訳出に際しての苦労談、蘭学界周辺の人びとの
人物評などを書き記した回顧録です。
『ターヘル・アナトミア』訳出より84年後の安政5年(1858年)、大阪・
適塾塾頭であった中津藩藩士・福沢諭吉が藩命により、同地に蘭学の
私塾を開設することになります。
『蘭学事始の地』は平成20年(2008年)に創立150周年を迎えた近代
日本最古の私立学校『慶應義塾発祥の地』でもあります。
参考図書 : 全訳注 片桐一男『杉田玄白 蘭学事始』
講談社学術文庫