銀座三丁目「銀座ガス灯通り」に昭和60年(1985)10月設置の復元ガス灯4基が灯っている。これは明治7年(1874)、芝金杉橋と京橋の間に85基のガス灯が建てられ、銀座を照らしたことを記念したものだ〔写真④〕。また、京橋跡(南詰東側)にもガス灯1基が復元されている。このガスはどこから供給されたものであったのだろうか。
現在、JR浜松町駅そばの東京ガス本社前に「創業記念碑」がある〔写真①〕。碑文には「・・・此地芝濱崎町ニ瓦斯製造所ノ建設セラレタルハ明治六年(1873)十二月ニシテ瓦斯供給ヲ開始シ、銀座街頭ニ瓦斯燈ヲ点火シ、行人ヲシテ驚異ノ眼ヲ瞠(みは)ラシメシハ・・・」と記されている。
東京ガス「ガス資料館」(小平市)に日本のガス事業を指導したフランス人プレグラン直筆の明治7年(1874)のガス街灯路線設計図が残っている。金杉橋から銀座・京橋、さらに神田や本町通りを浅草橋までにわたる計画図である。銀座では現在の中央通りのほか、みゆき通り、晴海通り、一丁目の銀座桜通りにもガス灯敷設が描かれている。
当時のガス灯は黄色い炎が燃えているだけで、ロウソクの明るさが40ルクスに対し、裸火のガス灯は60ルクスだったいう。しかし暗闇では提灯よりは明るく、ハイカラで珍しさも含め、大勢の見物人が集まったといわれている。
点灯には半纏を着た「点消方(てんしょうかた)」と呼ばれた人が、硫黄を火種とした点火棒を持ち、一人でガス灯50基ほどに約1時間かけて火をつけて回ったという。朝になると消さなくてはならないので、朝寝坊しないために妻帯者でなければならなかったそうだ。〔写真③:銀座ガス灯復元記念ハガキから「銀座通煉瓦造」(部分)三代広重:京橋図書館蔵〕
同資料館によると、明治11年(1878)守田勘弥が建てた「新富座」はガス灯をふんだんに使い、舞台照明にも用いられた近代的劇場で、東京ではじめて夜間興行がされたという。
また資料館庭内には、
新橋停車場から銀座煉瓦街、そして築地ホテルなど、江戸から東京へと国家新生の象徴として、当時の情景は錦絵にも多く描かれた。いまの中央区が近代文明への変貌を遂げていった時代を物語っている。