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常盤会ー久松邸跡ー

[北遊人] 2009年11月25日 17:30

浜町2丁目、トルナーレ浜町ビルの真向かい新大橋通りの植え込みの中に標示板がひっそりと立っています。説明文によると

 常盤会とは、明治16年(1883)に創設された旧伊予国(現愛媛県)松山藩主久松家による在京の旧藩士子弟たちの学資援助組織である。

 久松家は、明治維新後この地に屋敷を構えており常盤会はこの屋敷内に設置されていた。

明治17年の初代給費生10人の中に俳人正岡子規がいた。子規は明治16年6月故郷松山から単身上京し久松邸の書生部屋に寄寓しており、翌年給費生に選ばれたことを半生の喜びの一つだと述べている。

 常盤会は、明治20年に本郷真砂町の坪内逍遥邸跡に寄宿舎を創設、子規も明治21年9月から24年暮れまで書生として過ごした、 とある。 

AOMORi 076.JPG

この久松邸については、司馬遼太郎の 坂の上の雲 の中で何回もお目にかかります。

秋山兄弟も伊予松山の出身であり、兄好古が上京する時 「東京に着いたら、日本橋浜町河岸のお屋敷へ行け」と教えられる。旧幕時代「浜町の御藩邸」 といわれていた小さな別邸で、いまも旧藩主久松家の所有になっており、久松家ではそれを旧藩士が上京して学校に入る場合の寮として使わせていた、、、とあ る。

子規も、上京にあたり 「着けばすぐ旧藩主邸にあいさつにあがるように」と言われているので、停車場(新橋)から人力車に乗り日本橋区浜町の久松邸にむかった。、、とある。

この後、秋山兄弟の弟真之も上京し子規とともに青春を送っている。

その数年後、河東碧梧桐も一高受験のため上京、常盤会の寮に入っている。

明治22年には、子規は本郷の常盤会寄宿舎におり第一回目の喀血に見舞われている。