商業の中心地・
地元から愛され、住民とともに栄え、親しみのある商店街を、特派員が訪ねて、見て、聞いた商店街の"今日そして明日"。そのイキイキとした魅力と活力、とっておきの情報などをお伝えしている、
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◎特派員の商店街訪問(第2回)◎
大銀座の西の玄関口/西銀座通会
皇居やJR側から銀座に入る時に必ず通る道「西銀座通」。
「君の名は」で知られる数寄屋橋もあるこの地域は、西銀座デパートやプランタン、映画館、雰囲気のある喫茶店まで、まさに「銀ブラ」の代名詞である。
今回は、そんな銀座の西の玄関口である西銀座で活動する『西銀座通会』をお訪ねし、株式会社西銀座デパート顧問の雨宮聰さん、事務局長の林憲次さんにお話を伺いました。
(右2名のうち、奥が雨宮さん、手前が林さん)
『西銀座通会』はどのようにしてできたのですか。
設立は昭和58(1983)年6月29日です。
当時必ずしも整備が十分ではなかった通称「外堀通り」(正式名称・都道405号線)の銀座1~8丁目(旧城辺橋・土橋間)の景観向上、「西銀座通り」としての名称定着が目的ですが、併せて、昭和初期には「昔恋しい銀座の柳」と、唄にまで歌われ銀座のシンボルでもあった「柳」の復活・再生も副次的な目的となっています。
その活動拠点である<西銀座通り>の成り立ちを教えてください。
通称「外堀通り」の銀座部分(銀座1丁目~8丁目)を、平成10(1998)年、東京都建設局の「東京の顔づくり(シンボルロードの整備)」の指定を受け整備に着手し、2006年に完成しました。今では通りに「西銀座通り」という表示もされています。
ちなみに、中央区のシンボルロード整備としては、晴海通り(モデル事業)、中央通りに次ぎ3番目です。
整備完了に合わせ、同18(2006)年5月5日には、第1回「銀座柳まつり」を開催、以後毎年開催を続け今年は第5回目となります。
どのようなメンバーで構成されているのですか。
㈱西銀座デパートを中心に沿線の路面店、複合ビルなどのオーナーが主で、現在約90社の会員で構成しています。
どのようなお店があるのですか。
「西銀座通り」沿線1~4丁目は、西銀座デパートやプランタンなどのショッピングセンターや、銀座インズなど飲食店の集積もさることながら、丸の内東映映画館など文化施設にも事欠かきません。
また、5~8丁目は6丁目の高級クラブをはじめとしてバーなど歓楽街としての集積度が高く、またソニービル隣の「日動画廊」をはじめとして並木通りとともにギャラリーの数も多いところで、文化レベルの高い地域です。
どのような活動をしているのですか。
地域ぐるみの景観美化や環境維持への取り組みの原点が、構成員による持続的な日常的活動の積み重ねにあることは当然のことですが、西銀座通会では「美化委員会」を設け、定期的に清掃活動や公道上に放置されている看板・自転車・バイク等の整備を行うなど、景観・環境維持への取り組みを重ねてきており、会員の参加状況も良好です。
また、年に1回「銀座柳まつり」を開催しています。
「銀座柳まつり」の内容を教えてください。
銀座1丁目から8丁目までの「西銀座通り」約1㎞を通行止めにして、毎年5月5日に開催しているお祭りです。今年のテーマは"笑顔"。
当日のイベントは、①ブラスバンド,バトントワラーによる「銀座・ゴールデンパレード」、②大道芸人たちのパフォーマンス「ヘブン・アーティストin銀座」、③ブラバンによる「コンサートの森」、④子供たちによるパフォーマンス「こども夢舞台」、⑤ベーゴマや剣玉などなつかしい遊びの場「レトロ遊び広場」、⑥「東京スマートドライバーPRキャンペーン」、⑦「自転車安全利用TOKYOキャンペーン」など交通安全キャンペーン、⑧銀座育ちのみつばちたちが集めた蜂蜜が入手できる「銀座のみつばちフェスタ」、⑨子供たちの青空スケッチのアトリエ「柳まつりスケッチ広場」、⑩人力車と柳をバックに写真が撮れる「人力車写真館」、⑪"キティちゃん"や"ペコちゃん"と遊べる広場等々のイベントが1丁目から8丁目までの歩行者天国や数寄屋橋公園など地域一杯に繰り広げられます。
子供から大人まで、家族みんなで楽しめる一大イベントです。③のこども夢舞台は、今年初お目見えです。詳細はこちら →公式ホームページ
(2009年の柳まつりのパレードの様子)
『西銀座通会』がこれから目指す方向性はどのようなものですか。
「西銀座通り」沿線には、銀座東芝ビル(旧・マツダビル)の売却・再開発など、大きく景観の変わる可能性も出てきていますが、「大銀座」の西側入り口として、有楽町地区の再開発にも対応、回遊性を高めるためにも、柳まつりを柱に個性を生かした特長のある街づくりを目指して参りたい。
後記
戦後初の地下鉄・丸ノ内線が「西銀座」まで伸びたのは昭和32(1957)年12月15日。この年10月には有楽町に「そごう」デパートが開店、街には"有楽町で逢いましょう"とフランク永井の歌声が流れていました。
翌33(1958)年には、"ABC・XYZ..."で始まる「西銀座駅前」、これもフランク永井。
昭和一ケタ前半生まれ、結婚したのもこの年とあっては、西銀座と聞いただけでも「胸キュン」は当然の世代でもあります。
そんな「西銀座駅」が姿を消したのは何時だったか、その記憶さえなくなっていました。
今回は図らずも、その「西銀座」を復活,定着させようとしている人たちにお目にかかることができた,そして楽しいお話を聞くことができた。
こんな「オイシイ」お仕事させていただいたことに改めてお礼を申し上げたい気持ちで一杯です。
西銀座通会の雨宮さん、林さん ありがとうございました。