1月からはじまったNHK大河ドラマ「龍馬伝」は、4月から第2部に入った。これに合わせるかのように、3月末に中央区教育委員会作成の説明板が3ヵ所設置された。激動の幕末期に龍馬が暮らした、ゆかりの
「土佐藩築地邸跡」説明板(写真上)は
この一帯は、土佐藩山内家の拝領地で当初は下屋敷、のち中屋敷として藩邸だった。幕末期の藩主は15代山内容堂。大政奉還を推し進め、薩長ととに明治維新を主導した。土佐勤王党の武市半平太はここから桃井春蔵の士学館道場(現新富)に通っていたという。坂本龍馬もこの藩邸で暮らし、京橋桶町(現八重洲)の千葉定吉道場に通ったようだ。
その「千葉定吉道場跡」説明板(写真中)は鍛冶橋通りと柳通りの交差点付近に設置されている。
龍馬は19歳で剣術修行のために、はじめて江戸に出て、千葉道場に入門したという。その道場は、北辰一刀流の創始者・千葉周作の弟・定吉の道場とされ、「小千葉道場」「桶町千葉道場」と呼ばれていた。定吉は当初、新材木町(現日本橋堀留)に道場を持ったようだが、のちの近江屋版切絵図では鍛冶橋狩野屋敷(現八重洲)に千葉定吉の名が記されていることから、この地に説明板を建てたそうだ。
ところで、桶町はここからやや北にあったので、この一帯を通称「京橋桶町」と呼んでいたのか、あるいは鍛冶橋のあと、桶町に移転したとの説もあるので、そこを指したのかは不詳のようだ。
砲術の教えを受けた「佐久間象山塾跡」の説明板(写真下)は昭和通りからみゆき通りを東に入ったところに設置されている。
西洋砲術や蘭学を教えていた佐久間象山の塾には勝海舟や吉田松陰などが門下生として学んだ。龍馬も最初に江戸に来た年に入門したことが記録に残っているという。塾は象山が松陰の密航事件に連座したことで、まもなく閉鎖された。
○NHK教育テレビ 放送日時=4月8日(木)22:00~22:25
「直伝 和の極意」の「古地図で巡る 龍馬の旅」、第2回は「東京・黒船遭遇の街」が予定されている。テキスト発売中。中央区が紹介されるであろうか?
○区報「区のおしらせ」既報の「中央区歴史散歩」で、ボランティアガイドの中央区文化財サポーター協会設立5周年企画として「外堀跡と龍馬の足跡」コースを今月下旬に実施する(申込締切済み)。