現在の佃1~2丁目にまたがる一部は元々石川島・佃島と呼ばれる隅田川河口に出来た自然の干潟。
名の由来は、各々江戸期に「船手頭」を務めていた石川氏が洲島を拝領し居を構えたこと、摂津国佃村の漁師が石川島南の干潟を拝領し島を造成して移住したことによると伝えられる。
明治初期石川島が佃島に合併。明治29年新佃島完成。戦後住居表示法の実施により、旧佃島は佃1丁目、元々の石川島は佃2丁目、周辺の新佃島西町1,2丁目は佃2丁目、新佃島東町1,2丁目は佃3丁目に各々変更されている。
佃地区はその大部分が関東大震災、東京大空襲を免れ、江戸時代に遡る敷地割の残影を留め、独自の文化・風俗を育み、情緒豊かな街並みが保たれている。
こぢんまりとした家並みと細い路地。とりわけ植木鉢や縁台が並び、お地蔵さんまで祀られている路地は、暮らしに密着した"共有空間"。
植木の水遣りと共に夏の暑い時期は打ち水もされる。
路地や道路の清掃、狭い空間の創意工夫に基づく緑化や潤い造り。
自然と防犯や助け合いも生まれると聞く。
佃島は1950年代まで漁業集落的機能を留めており、水需要は旺盛。加えて近世から引継いだ敷地割に関連して「表台所」も長らく残存し、上水道敷設後も井戸は生活用水・雑用水の供給源として重要性を保持してきた。今は植木鉢として利用されている古い石製の用水桶、かつての家業用屋内井戸、そしていまだに現存する手押しポンプ式の(共同)屋外井戸・・・。
ゆったりと時間が流れていく様子が体感できる。