江戸・明治・大正時代を経て関東大震災に至るまでの一般的な商家(店舗兼住宅)建築の一つに、軒が大きく前面に張り出した「出桁(だしげた)造り」と呼ばれるものがある。 梁(腕木)を柱の外に突出して、出桁を乗せ、その上に垂木(たるき)を架けて瓦屋根を支えるという力学的な構造が露になった造り。
庇の深い立派な軒が機能的な装飾となって、商家の格をも示したと云われる。
これに加えて、裕福な大店に見られたような、防火対策上、土壁を塗った「蔵造り」や「塗屋造り」が伝統的商家(町家)建築とされる。
佃島地区はその大部分が関東大震災、東京大空襲を免れ1950年代まで漁業集落的機能を留めていたなかで、佃堀と呼ばれる船溜りと共に、この出桁造りの小規模な商家建築とそれらを縫う路地が残在する。そして古い構えを踏襲し営業を続ける佃煮屋。堀を挟んだ旧石川島地区には超高層マンションが圧倒するように聳えているが、その新旧の対比も面白い。
建物は未来永劫続くものではないが、建物の歴史は人々の生活の歴史。そこで数々の暮らしが営まれてきた。「木は千年の命を持つ」とも云われるが、長寿の木造建築物には幾多の人々の想いと温もりを感じる。