瞼に残る昭和の家並みも、再開発と建替え進展により、年を追うごとに急速に姿を消しつつある。
関東大震災復興の過程で出現したとされる所謂「看板建築」もそのひとつ。
①区画整理による街路拡幅で狭められた敷地 ②耐火性向上 ③芽生えた新デザインへの指向 こうした条件を背景に、建物前面を平坦にし、銅板張付け・タイル貼り・モルタル塗り等耐火素材で仕上げたのが、こんにち「看板建築」と称される建造物。和洋折衷の木造2階建てで、アーチ型の窓や、銅板に江戸小紋(亀甲・青海波・網代等)様の装飾を施したりと、バラエティに豊んだデザインが特徴。屋根裏部屋も敷地面積が狭くなったための苦肉の策であったという。
このような時代背景で生まれ、昭和の雰囲気を色濃く残す建物も、戦災に加え戦後の再開発の波で取り壊され徐々に消滅。それでもこの築地界隈はその殆どが戦災を免れ、かつ近年大きく街区も改編されることもなかったため、当時の独特の家屋が連なる家並が残存し、戦前の面影を残している。
そして緩やかでどことなくまだ心にゆとりがあった時代を偲ばせてくれる。
<築地1~3丁目>
<築地4丁目>
<築地6丁目>
<築地7丁目>