新大橋通りと晴海通りの交差点に、築地場外市場のランドマーク的存在の「築地KYビル」がありますが、その2階に築地文化発信のための展示・イベントスペース「築地よりみち館」が今年(2010年)の初めに誕生しました。
最近見てきましたので、ご紹介します。
(左の写真は、築地交差点にある「築地KYビル」)
「築地よりみち館」のある「築地KYビル」2階の床はウッド・フローリングがなされており、
1階の食料品売り場「築地おもしろ市場」に比べると2階は静かで落ち着きがある空間を醸し出しています。
「築地よりみち館」と言いましても、展示のための部屋があるわけでもなく、通路からだれでも自由に出入りできるオープン・スペースです。
錦絵が展示してある展示スペースには、江戸末期の「江戸図」(安政2年(1819年))や「大江戸俯瞰図」(弘化4年(1847年))はじめ、外人居留地として賑わう「東京築地鉄炮洲景」、幻のホテル「東京築地ホテル館之図」、「東京名所築地御門跡」(築地本願寺)(左の錦絵)などの錦絵が22点ほど展示してあります。
慶応3年(1867年)、築地海軍操練所(現在の中央卸売市場駐車所あたり)の跡地に建設を開始し、明治元年(1868年)に完成。
当時は、洋風ホテル(和様折衷様式)が大変珍しく、東京の新名所として大勢の人が見物に訪れ、絵師たちにより錦絵もたくさん描かれたそうです。建物は3階建て(一部4階、塔屋付き)。
設計はアメリカ人建築家ブリジェンス、
施工は清水組(現 清水建設)二代目の清水喜助が幕府に願い出て請け負いました。
なお、小栗上野介ですが、幕末の歴史上の人物にしては知名度が低いように思いますが、 司馬遼太郎(作家)は小栗上野介を「明治の父」と讃えており、 大隈重信に「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」 とまで言わしめたほどの幕末歴史上、注目すべき人物の一人です。
「現在の築地」の写真展示コナーもあります。
これは錦絵展示スペースの向かいの壁に、
20枚ほどモノクロの写真が横一列に展示してあります。
写真には、
「マグロの競り」、
「マグロの解体」、
「築地中央卸売市場の俯瞰写真」や
「築地波除神社の獅子頭」
などがあり、現在の築地中央卸売市場の活気を伝えています。
無料です。ご興味のある方は、是非お早目に「築地よりみち館」を訪れて、幕末・明治初期の築地の賑わい描いた錦絵などをご覧ください。寄り道して見てみましょう。
(なお、このブログに展示作品の撮影・ブログ掲載につきましては、インフォーメーションの方のご了解をいただきました。ありがとうございます。)