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「築地よりみち館」~幕末・明治初期の築地の賑わい(錦絵)~

[O傘] 2010年9月14日 11:10

新大橋通りと晴海通りの交差点に、築地場外市場のランドマーク的存在の「築地KYビル」がありますが、その2階に築地文化発信のための展示・イベントスペース「築地よりみち館」が今年(2010年)の初めに誕生しました。

 

IMG_5196comp.JPG現在、江戸時代末期~明治初期の築地が描かれた錦絵22点と、現在の築地に関する写真(モノクローム)20点が展示してあります。


最近見てきましたので、ご紹介します。

(左の写真は、築地交差点にある「築地KYビル」)


IMG_3678tcomp.JPG「築地よりみち館」のある「築地KYビル」2階の床はウッド・フローリングがなされており、

1階の食料品売り場「築地おもしろ市場」に比べると2階は静かで落ち着きがある空間を醸し出しています。


IMG_5591comp.JPG「築地よりみち館」と言いましても、展示のための部屋があるわけでもなく、通路からだれでも自由に出入りできるオープン・スペースです。


IMG_3687tcomp.JPG 錦絵が展示してある展示スペースには、江戸末期の「江戸図」(安政2年(1819年))や「大江戸俯瞰図」(弘化4年(1847年))はじめ、外人居留地として賑わう「東京築地鉄炮洲景」、幻のホテル「東京築地ホテル館之図」、「東京名所築地御門跡」(築地本願寺)(左の錦絵)などの錦絵が22点ほど展示してあります。


その中でも、幻のホテルと言われる「築地ホテル館」に興味がありました。

IMG_5157tcomp.JPG「築地ホテル館」 日本最初の本格的洋風ホテル

IMG_3699tcomp.JPG

慶応3年(1867年)、築地海軍操練所(現在の中央卸売市場駐車所あたり)の跡地に建設を開始し、明治元年(1868年)に完成。

当時は、洋風ホテル(和様折衷様式)が大変珍しく、東京の新名所として大勢の人が見物に訪れ、絵師たちにより錦絵もたくさん描かれたそうです。

建物は3階建て(一部4階、塔屋付き)。

設計はアメリカ人建築家ブリジェンス、

施工は清水組(現 清水建設)二代目の清水喜助が幕府に願い出て請け負いました。

ところで築地ホテル館の建設計画自体は、幕末期に勘定奉行などをつとめた小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)(忠順(ただまさ))が発案し、

 

実際には小栗の主導のもとで、清水喜助らが建設・運営したと言われています。

 

 

 

 

 

IMG_5175tcomp.JPGなお、小栗上野介ですが、幕末の歴史上の人物にしては知名度が低いように思いますが、

 

司馬遼太郎(作家)は小栗上野介を「明治の父」と讃えており、

 

大隈重信に「明治政府の近代化政策は、小栗忠順の模倣にすぎない」

とまで言わしめたほどの幕末歴史上、注目すべき人物の一人です。

 

築地ホテル館は、残念なことに、完成から4年足らずで大火により消失し、その後再建されませんでした。

 

それで後世の人は「幻のホテル」と呼んで、当時の築地ホテル館の雄姿と賑わいを偲んでいるそうです。

 

 

 

 

 

IMG_5592tcomp.JPG「現在の築地」の写真展示コナーもあります。

 

これは錦絵展示スペースの向かいの壁に、

 

20枚ほどモノクロの写真が横一列に展示してあります。

 

 

 

 

IMG_5152comp.JPG写真には、

 

「マグロの競り」、

 

「マグロの解体」、

 

「築地中央卸売市場の俯瞰写真」や

 

「築地波除神社の獅子頭」

 

などがあり、現在の築地中央卸売市場の活気を伝えています。

 

 

 これらの展示期限ですが、同じフロアのインフォメーションに聞いてみましたら、期限が決まっていないそうで、新しい企画がでてくるとその時点で展示が終了することになるそうです。

 

 無料です。ご興味のある方は、是非お早目に「築地よりみち館」を訪れて、幕末・明治初期の築地の賑わい描いた錦絵などをご覧ください。寄り道して見てみましょう。

 

(なお、このブログに展示作品の撮影・ブログ掲載につきましては、インフォーメーションの方のご了解をいただきました。ありがとうございます。)