明治25年東京湾埋立第1号地として造成された現在の月島。
一帯は多くの工場や倉庫が続々と立地、併せて多くの職工・労働者用住宅も建造され、人口が急増した。西仲通りはこうした住民の食料・日用雑貨調達の商店街として、明治末に形成されたと云われる。
大正から昭和初期にかけて人口は更に増え、通りには露天商も並び賑わったと聞く。幸いにもごく一部を除き街は戦災を免れ、戦後もいち早く復興。昭和21年には個々に分かれていた商店街を統合、「月島西仲共栄会商店街」として新発足している。
昭和62年、セミモール方式の下町らしい共同施設(現在の切妻式屋根がついたアーケード、街路樹、ゲート、案内板、カラー歩車道等)が完成、現在に至る。
新装なったものの、アーケードの後ろには昔ながらの「出桁造り」「看板建築」に加え、一目で業種が分かる往時の看板の痕跡が随所に見られる。
元々駄菓子屋が子供相手に始めた「もんじゃ焼き」が今では来街者を引きつけ「もんじゃストリート」としてすっかりお馴染みの西仲通り。
周囲の環境変化と共に、アーケードの後ろの往時の看板にある業種からの業態変更、もんじゃ焼き店への転業等々を見るにつけ時代の変遷を実感。
週末ともなれば多くの来街者で賑わいますが、もんじゃ焼きだけでなく、昭和の面影が残る街並みに加え、是非上方も見上げて商店街の歩みもお楽しみください。