新富町から銀座へと歩く途中、ちょうど首都高速の京橋入口付近に<三つ橋>の記憶を伝える案内案を見つけることができます。
〔銀座ラフィナート〕(旧京橋会館)の脇にひっそりと掲げられたその文章を読むと、この辺りが川に囲まれた地域だったことがよく分かります。
歴史小説の好きな方はご存知かと思いますが、池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』第9巻「鯉肝のお里」の舞台として詳しく描かれています。
〔三つ橋〕に関する歴史は、9月24日付けの写楽さい氏のブログに詳しいので、そちらをご参照下さい。 中央区ここに歴史あり〈24〉
私が紹介したいのは、この地に建つ〔銀座ラフィナート〕(旧京橋会館)です。
地下一階には、歴史を伝える名を冠したお店「みつはし」があります。なかなか落ち着いた店ですので、立ち寄ってみて下さい。
また、〔銀座ラフィナート〕1階玄関脇にはもうひとつの史実を伝える〝自動電話交換発祥の碑〟があります。そもそも、この建物はNTTにゆかりがあります。元は京橋電話局があったところなんですね。
大正15年にわが国で初めて電話の自動交換が行われた場所です。携帯電話全盛の時代に想像もつかないかもしれませんが、当時は、交換手の手を経ないで機械が電話回線をつなぐという斬新な設備を誇ったのです。
さて、かつての古名は、高速道路の料金所や駐車場の名に「白魚橋」が残され、往時を偲ぶことができます。白魚橋のさらに古い別称「牛の草橋」の由来をどなたかご存知でしたら教えて下さい。
以前ご紹介したように、昔は〝土橋〟や〝竹橋〟のように見た目をを橋の名に残すものがありましたから、草橋も草の生える姿をその名に残したものでしょうか。〝牛〟は動物のことか、それともお城から見て〝丑〟の方角だったからか・・・関心が深まります。
近世も近代も現代も、さまざまな顔を見せてくれる・・・・中央区の魅力の一つですね。
〔参考〕左が付近の古地図です。3つの橋が向かい合っている姿がよく分かります。(尾張屋版切絵図から引用)
左から来るのが京橋川、右手に出て行くのが桜川です。桜川は、八丁堀駅近くの〔桜川公園〕などにその名を残しています。