前編では豊海橋・湊橋・茅場橋・鎧橋・江戸橋を御紹介しましたが今回は日本橋・西河岸橋・一石橋を御紹介いたします。
日本橋 (日本橋1丁目~日本橋室町1丁目)
慶長8年(1603年)徳川家康によって架けられる。
翌年に五街道の起点となり日本の中心として江戸の繁栄を支えた 。
明治に入って橋の中央が国道の基点と定められ東京市の道路元 標が立てられた。
現在の橋は2連アーチ橋で 明治44年(1911)に完成し来年は100周年をむかえる。
装飾を担当したのは建築家、妻木頼黄で麒麟と獅子のブロンズ彫刻が施されている。
橋中央の橋灯にある麒麟は繁栄を表し四隅の獅子は守護を表している。
一石橋 日本橋本石町一丁目~八重洲一丁目)
外堀の水が日本橋川に合流する場所に架かる橋です。
北の金座後藤庄三郎と南に御用呉服商の後藤縫殿助の屋敷があったことから後藤(五斗と五斗)で
一石橋となったそうです。
江戸の初期から「武州豊島群江戸所庄図」にはすでに「木橋」として見えています。
大正11年には(1922年)には鉄骨コンクリート花崗岩張りのモダンな橋となり関東大震災にも落橋せず、その後も重要な橋として使われて居りまし。
しかし平成9年には橋本体はすべて撤去され親柱1本だけが残されて当時の姿を忍ばせています。
親柱の左側に見えるのは「一石橋迷子しらせ石標」の案内板です。
説明を読めば江戸時代は住人全員が家族であったような錯覚をおこします。
まだ訪れた事のない方は是非、歩いて渡ってみて下さい。
西河岸橋 (日本橋本石町1丁目・日本橋室町1丁目~八重洲1丁目・日本橋1丁目)
日本橋から一石橋までの日本橋川右岸地域が西河岸町という地名であった事から「西河岸橋」と名づけられました。
初代は明治24年に架設、当時は最新式の鉄橋でしたが関東大震災で被害をうけました。
大正14年に現在の橋に架け替えられ、その後65年を経過した平成平成2年に修復し木造建築様式の木組みを取り入れた意匠で整備しました。
橋の架かっている道は日銀通りです。