名橋「日本橋」が来年(2011年)4月で架橋100年を迎えます。これに先立って補修工事が今年(2010年)の7月下旬、「日本橋洗い」のイベントの直後から始まり、約3カ月過ぎて間もなく11月19日に終わります。
橋の側面を含むこのような本格的な補修工事は1911年4月に架橋して以来、初めてだそうです。99歳での若返りです。 この補修工事は国土交通省関東地方整備局東京国道事務所が行いましたが、 路面に敷設している御影石をいったん撤去するなどして、 敷石の下周りの漏水対策や劣化・破損した敷石などの補修工事をしてきました。
左の写真は橋の側面(上流側)の補修工事
「月刊日本橋」主催で「稲田みかげ石で日本橋100年 採掘現場見学日帰りツアー」が先月(10月)初めにありました。好評だったようで、第2弾も計画しているとか。 橋上の最後の工程で、上流側(三越側)の歩道で、破損した石材ブロックを新たに補てんしつつ、 いちど撤去した石材ブロックをもと通りに並べる作業などを行いました。 間もなく補修工事がおわりますが、 工事と並行して11月1日(月)よりケルヒャージャパン社と名橋「日本橋」保存会による「日本橋クリーニングプロジェクト」が始まりました。 なお、ケルヒャー社は「自由の女神」や広島の「平和記念公園」など、 世界の著名な建造物・文化財の洗浄を手掛けてきたそうです。
そして、石造りの日本橋「架橋100年」を迎える来年(2011年)4月には、 名橋「日本橋」保存会(会長・中村胤夫 三越特別顧問)はじめ関係者が記念イベントを検討中のようです。 これも楽しみですね。 (上の写真は昨年12月撮影) 【参考】 日本橋について 日本橋は、ご存じのように、徳川家康の江戸幕府が始まった1603年(慶長8年)に木造の橋が創架されました。 翌年5街道(注)の起点として定められました。 橋の欄干(らんかん)の頭に擬宝珠(ぎぼし)がとりつけられた御公儀(ごこうぎ)橋として江戸時代から重要な橋でした。 (注)五街道: 東海道、日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)、中山道、甲州街道(甲州道中) 日本橋の周辺は、魚河岸や三井越後屋(三越の前身)など「熈代勝覧」(東京メトロ銀座線の三越間駅コンコースに展示されている)にみるような江戸の賑やかな経済・文化の中心地でした。 その後、火災による焼失などがあり、再建を繰り返し、明治44年(1911年)4月に、20代目になると云われていますが、現在の石造二連アーチ橋が架けられました。
設計は米本晋一(よねもと しんいち)氏、デザインは妻木頼黄(つまき よりなか)氏です。
そして、その後関東大震災や空襲にも耐え抜いて今日に至っています。
右の写真は、復元中の歩道と、元あった位置の番地が書いてある「稲田みかげ石」ブロック(1個づつビニール袋に入っている)
橋の歩道の敷石工事中は、日本橋の中央付近を歩いて通ることになりました。
そのお蔭で、車道の中心に「道路元標」が埋め込まれる四角い窪みをまじかに見ることができます。
それから、橋の中心付近から高速道路を見上げますと、左右の高速道路の間に設置されている空中のモニュメントもほぼ真下から見ることができました。
橋の車道中央に「日本国道路元標」のプレートが戻るのもまじかです。 2010年度内に、若返った名橋「日本橋」のお披露目があるようですが、楽しみです。
親柱の漢字とひらがなの文字は、徳川最後の15代将軍、慶喜公が書いたものです。
現在の日本橋は、御承知のように国の重要文化財(1999年指定)であり、国道の起点として、橋の車道中央に「日本道路元標」が設置されています。
現在、日本橋を起点とする国道は7つあります。
1 国道1号(東海道)
2 国道4号(東北道)
3 国道6号(常磐道)
4 国道14号(京葉道路/千葉街道)
5 国道15号(第一京浜)