現在、国の重要文化財指定されている永代橋。今から約200年前に崩落したことはよく知られている。時は文化4年(1807)8月19日、深川富岡八幡宮の大祭は11年ぶりに執り行われた。祭りで賑わう人々が永代橋を渡っているときに崩壊したのだ。当時は木橋でかなり痛んでいたともいう。犠牲者は約500人とも、はたまた1500人に達したとも言われ、確かな人数は不明だ。この大惨事を蜀山人(大田南畝)は狂歌で「永代とかけたる橋は落ちにけり きょうは祭礼あすは葬礼」と詠んでいる。落語「永代橋」でも演じられた。
当時の犠牲者を悼んだ文化4年永代橋崩落横死者供養塔および石碑が
これによると「江戸はじまって以来の大惨事が発生した」「溺死者の百日忌・五十回忌・七十七回忌・九十一回忌の折に海福寺境内に建立された」「溺死者440人ともいわれた空前の大惨事を、江戸市民がどのように受けとめ後世に伝えていたかを明らかにすることができる都内唯一の資料である」と記されている。
供養塔の台座はだいぶ古く、そこに彫られた刻字はかなり磨り減って読みにくいが、「京橋」や「八丁堀」と刻まれて、犠牲者の氏名がわずかに読み取れる。3年ごとに執り行われる深川八幡祭は現在でも、