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昔ここに橋があった・・・・<初見橋>編

[下町トム] 2010年12月24日 02:42

 地下鉄月島駅のすぐ近く、清澄通りを佃大橋から続く新月陸橋がまたぐところがあります。

新月陸橋_R.JPG

この交差点の名前は〔初見橋〕といいます。ちゃんと標識にも名前が読み取れますね。car

初見橋3_R.JPG 初見橋2_R.JPG

清澄通りの中央分離帯の標識にもはっきりと〔初見橋〕と記されています。

 

かつて地下鉄有楽町線が開通するまでは、このあたりは都営バスだけが唯一の公共交通であり、「新佃島」という停留所がありました。さらにその前はというと、昭和47年までは都電が走っていたのです。(23系統・柳島方面、昭和43年までは11系統・新宿方面も存続)train

つまり、現在陸橋(都道473号線)が通る位置には運河が横たわり、月島と佃島とを分けていたのです。〔初見橋〕は当時月島通り呼ばれていた大通りがこの運河に架かる橋でした。今では名前だけが往時の記憶を留めています。

 

昭和初期の月島地図_R.JPG

左の地図は中央区発行の復刻版の引用です。(昭和7年)

当時の月島駅付近を見ると、〔初見橋〕の隣に〔新月橋〕、さらにその横に〔佃橋〕の名が見て取れます。eye

月島西河岸通りから佃島に続くところに架かっていたのが〔佃橋〕であり明治期から存在していました。その後に、今は〝もんじゃストリート〟となっている月島西仲通から続くところにも橋がかけられ、〔新月橋〕と名付けられました。

佃と月島の間の交流が徐々に盛んになっていったことがうかがえます。

 

新月橋あと_R.JPG 佃橋あと_R.JPG

左の写真が現在の月島西仲通りを佃方面から望んだところであり、かつて〔新月橋〕がかかっていた場所です。右のほうが、陸橋の下に少々肩身の狭い格好になっているのが月島西河岸通りに続くところであり、〔佃橋〕がかかっていた場所です。

佃の潮溜り_R.JPG

かつての〔佃橋〕のあたりから佃島に抜けると、児童公園があり、その向こうに、ちょっとした汐溜まりがあります。

ここはかつては月島と佃を分かっていた運河に続く水路であり、まさしく佃は〝島〟であることを実感させてくれます。ship

今では、住民の憩いの場所となっており、その先に目をやれば、佃小橋や住吉神社の社殿の一部が望めます。その後ろにそびえる〔佃リバーシティ21〕の高層マンション群は、変わり行くこの地域の景色の中に少しずつ馴染んでいくように思えます。

ご存知のように、佃大橋が完成するまでは〝佃の渡し〟が対岸の湊町と佃島をつないでいました。隅田川べりに出て往時の賑わいを偲んでみるの一興です。

 

今も昔も人々の威勢のよさと温かみが息づくこ一帯は〝よき時代の香り〟を残しています。是非、かつての風景も思い浮かべながら、ゆっくりと散歩してみて下さい。きっと懐かしい気持ちになることと思います。shoe