「空から、パーッと福でも舞い降りてこないかな。」
「もし宝くじでも当たったら・・・」
落語に出てくる、愛すべき長屋の住人「熊さん、八っっあん」のようなことを思いながら、ふらりと立ち寄ったのが、日本橋堀留町1丁目にある「椙森神社」。
スギの森というくらいだから、その昔このあたりは、杉の木が生い茂っていたんでしょうね。
拝殿の左手に立つ石碑の文字が「富塚」。
「宝くじにご縁があるのかいな。」と眺めていると、
久しぶりに登場は、無用なことだけやたら詳しい、いつぞやの爺さま。
『ここは、江戸時代に富くじ(富籤)が行われていたところ。
今でいう、宝くじのご先祖さまのようなものだ。
それを記念して、碑が建てられている。
江戸時代に、宝くじがあったのかだって。
富くじは、江戸文化の爛熟期といわれる、文化・文政の頃に最盛期をむかえている。
幕府が許可したもので、江戸の地域だけでも30箇所を超えたと言う。
半ば公営ギャンブルといったところかな。
官許の富くじは、幕府の財政悪化により寺社への補助金が減ったため、修繕費などを工面する名目で、寺社に興行を許可したんじゃ。
寺社の境内で行われる抽籤は、番号を記入した木札を大きな箱に入れ、よくかき回したところを、上部の穴から柄の長いキリを差込み、木札を突き刺した。
木札に書かれている、例えば「松の1234番」が当たり番号で、高らかに読み挙げられる。
境内に集まった人が、ワーッとどよめく。
時代劇でも、時折目にする場面だな。
一攫千金は、いつの時代の人も夢見ること。だから、落語や芝居の題材にも取り上げられているんだ。
特に、「江戸の三富」と数えられたのが、湯島天神、谷中感応寺(天王寺)、目黒不動。
寺社詣でと合わせて、大いに繁盛したようだ。
なに、ここ椙森神社はどうだったかだと。
江戸の主要街道に面した町屋の中にあるから、人々も気軽に立ち寄れたことだろう。
新橋の烏森、深川の雀の森(柳森神社を入れることもある)と合わせて、「江戸の三森」と呼ばれたところ。繁盛しない訳はない。
今でも、日本橋七福神の恵比寿さまが祭られている縁起の良いところだ。
しかし、富くじのあまりの過熱振りに、幕府老中水野忠邦は、天保の改革で廃止・禁令を出している。
夢を抱きつつも、堅実にまっとうに歩いたほうが、幸せに近づけるということかな。』
説教じみた話になりかけたところで、爺さま、スッと退場。
「まったく。親戚でもないのに、うるさい爺さまだ。」と、思いながらも、新緑の木々を通して降り注ぐ光の中で、富札をギュッと握り締めて、錐突きの一挙手一投足に熱い視線を送る江戸の庶民の姿が、フッと見えた気がしました。